■「お釈迦様に逢いたくて」 7』
インドでの仏跡移動のほとんどは、田舎道を走る長距離大移動。
だから移動中、お手洗いなどあるはずもなく、2〜3時間おきに適当な
場所にバスが止まると、そこで用を足さなければならない。
サトウキビ畑の中に潜り込んだり麦畑の陰を探しながら、トイレスペー
スを自らが見つけなければならない。
それが何日も続く。
ある意味においては、インド仏跡巡礼の旅は精神的にタフじゃなければ
少々過酷かもしれない。
しかし慣れてしまえば何てことはない。繰り返していくうちに、原始的
な感覚が蘇ってくる。
インドに入って3日目。
最初に長時間かけて向った先は、祇園精舎だった。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり…」と平家物語の冒頭に登場
することで、私たち日本人にも馴染みの深い祇園精舎。
ここは、お釈迦様が生涯の中で25年間に渡り、最も多く説法をされた場
だという。今は赤煉瓦の跡地だけが整然と残るばかりの遺跡なのだが、
七世紀、お釈迦様の教えを学ぶ為、中国の長安からやってきた玄奘三蔵
も祇園精舎の荒廃ぶりに驚いたというから、かなり以前から同じような
状態だったのだろう。
青く晴れ渡る空の下、お釈迦様が説法をされていたという煉瓦の前で、
法要が行われた。私も経本を開き、皆と共に唱和させていただく。
時折、清々しい風が吹いてきたのだが、はるか2500年前にも、同じこの
大地の上で、人々がお釈迦様の説法を聴いていたのかと思うと、なんと
も感慨深い気持ちになった。
この日は、更に大移動をしてネパールへと向った。
陽が暮れてくると、簡素な家の前で焚き火をしている光景が幾度も目に
入ってくる。日本では夕暮れになると、どこの家でも電気が灯るが、イ
ンドの田舎の家は生火が灯るようだ。
やがて、そんな家庭の火も見えなくなった頃、突然巨大な照明塔が現れ
た。今までの風景には似つかわしくない、不自然な青白い光が闇を照ら
している。そこは、国境のゲート。インドとネパールは陸続きではある
が、当然国が違うので、国境越えは厳重なチェックが入る。
ようやくゲートが開き、ネパールのホテルに着いた時には、夜もかなり
更けていた。
ホテルのロビーに着いて、真っ先に気がついたのは各所に置かれたスト
ーブの存在だった。インドでは薄着で過ごせていたが、ネパールは真冬
のセーターが必要で気温の違いを肌で感じた。
ネパールに入ったのは、お釈迦様が誕生されたルンビニ園へ向う為だ。
私はドキドキしながら、朝を迎えた。
つづく…