「お釈迦様に逢いたくて」 6』


インドのデリー空港に着いた途端、少し湿り気のある香料の匂いが漂っ
てきた。今までも、海外は何カ国かは巡ってきたが、何処とも符合しな
い感覚。まさに、異国という感じだった。

日本から、この佛跡巡礼に参加している人々は、僧侶の方々や旅行代理
店の方々、そしてインドのスタッフを含めると60名を越えていた。
勝手に少人数の旅だと思い込んでいた私は、初日その人数に驚きもした
が、移動していく中で様々な人との出会いがあることが、逆にありがた
く幸せにも思えた。

佛跡巡礼の旅で、一番最初に向った場所は、デリー国立博物館だった。
行程表には博物館見学とだけ明記されていたので、気楽な感覚で中に入
ったのだが…係りの方に案内された場所は、なんとお釈迦様の舎利の前。
まさか、インドで最初にお釈迦様の尊骨と対面できるとは、想像すらし
ていなかった。
心構えもないまま、突然目の前に現れた、お釈迦様。
これが、お釈迦様が実在の人物であったことを肝に落としこめた最初の
出来事だった。
正直なところ、その時あまりに驚きすぎて、どれくらいの時間をそこで
過ごし、どんな法要が執り行われていたのかすら記憶に無い。
ただ、全員で輪袈裟をかけ、お経を唱和しての最初の法要があったこと
だけしか覚えていない。気が付いた時には、博物館の自由見学になって
いた。その日の午後、飛行機に乗る為、見学時間があまりない、とのこ
とで、ほとんどの人たちは足早に博物館の見学に廻っているようだった。

私は、というとお釈迦様の尊骨の側から一時も離れたくなかった。母も
一緒のようで、お釈迦様の真っ白な尊骨に手を合わせていた。
しばらくすると、比叡山から同行されていた天台宗の若いお坊様が朗々
と大きな声で般若心経を唱え始めた。
私も共に唱えると、隣に80歳ぐらいの小柄なお婆様がぴったり寄り添い
ながら般若心経を唱え始めた。私は、ありがたい気持ちと何とも形容し
がたい気持ちが混じり涙が頬を伝ってきたのだが、ふと横を見ると、そ
のお婆様も泣いている。そしてその部屋に残っていた、ほとんどの人が
泣きながら般若心経を唱えた。

午後から、国内線に乗ったのだが、何かのトラブルなのか、なかなか離
陸しない。座席を離れた母が、私のそばまでやってきて一言。
「どうしよう。安田管長様の隣になっちゃった。何を話したらいいかわ
からない」と興奮しながら言ってきた。
私は、自慢じゃないが本当にお釈迦様やインドのこと、そして薬師寺の
こともほとんど無知に近い状態なのだが、私に輪をかけて母は何も知ら
ないまま参加している。
母は飛行機の移動時間、緊張のあまりほとんど喋ることが出来なかった
らしい。しかし、たまたま管長様がシルクロードをよく旅をされる、と
いう話から、タクラマカン砂漠をラクダで横断した母の実兄、私にとっ
ての伯父の話になり、共通の知り合いがいることが判明したという。
そんな母の話を後から聞いて、薬師寺の最高位である管長様が、ほんの
少し身近に感じられるようになった。

デリーからおよそ1時間。インドの古都ラクナウに移動したのだが、ゆ
っくり見学する間もなく、翌朝、まだ日が昇る前にバスに乗り、祇園精
舎へと向った。
                      つづく…



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