「お釈迦様に逢いたくて」 2』


縁が繋がる時というのは、本当に不思議な力が働いているかのように、
何もかもが自然と動き出すものだ。

アリゾナで偶然出会ったインド人のラジェンドラ博士から「ブッダがあ
なたを呼んでいます。早くインドにいらっしゃい」という言葉は、帰国
後も、しっかりと自分の中に残っていた。

帰国した翌週末、次女に付き合って東京藝術大学へ行った時のことだ。
ミュージアムショップで平山郁夫画伯の「お釈迦様の生涯」という絵本
が目に飛び込んできた。
私は迷わず購入し、早速家で読んでみた。
表紙扉の次のページに、にこやかに微笑むお坊さんの写真。文章の横に
「監修 薬師寺管主・高田好胤」と書いてあったのだが、絵本そのもの
に気が行き、私は、さして気に留めるでもなかった。

その翌日。
以前、DVD「熊野大権現」を購入してくださった神戸のNさんから、
驚くようなメールが届いた。
Nさんの奥様は、インドのラジェンドラ教授の息子さんが勤めていた企
業の同じ研究プロジェクトチームに、入れ違いで在籍していたという。
更に、メールの後半に、薬師寺の長老様と月に一度、一緒に活動されて
いる、ということが書かれていた。
薬師寺の文字は、前日購入した絵本で見た直後だったので、とても気に
なった。

私は、すぐさまインターネットで検索した。

前日、最初に絵本で見つけた高田好胤師は前々管主様で、Nさんが共に
活動されている方は、前管主様の松久保秀胤長老。そして、現管主様は
安田暎胤師だということがわかった。
一番残念だったのは、高田好胤師は既に他界されていたことだった。

高田好胤さんというお坊様は、副住職時代、修学旅行で薬師寺を訪れた
中高生に直接説法をし、その後は般若心経の納経により、大伽藍などの
復興に尽力をつくされた凄い方だ。
偉業を成しても偉ぶることなく謙虚な方だったようで、本当にお会いし
てみたかったと思った。

薬師寺は、法相宗という宗派で、その始祖にあたるのが玄奘三蔵、いわ
ゆる三蔵法師である。日本で一番ポピュラーなお経、般若心経も玄奘三
蔵がインドから持ち帰り、翻訳したものだということも、調べているう
ちにわかり、目から鱗のようだった。

数日後の11月25日。
京都でのコミュニケーション講座に向う新幹線の中で、私は一冊の本を
読んでいた。
法隆寺大工、最後の棟梁といわれる西岡常一氏の「木のいのち・木のこ
ころ」という本だ。
この本は、某出版社の社長から、今年発表しようと思っている作品の参
考になれば…と手渡されたものだった。

朝陽をあびながら、新幹線の中で読み進めているうちに、私は硬直して
しまった。またしても、薬師寺や高田好胤さんの名前がまたもや登場し
たのだ。

「薬師寺に行かなければ!」

3日後、京都での講座の仕事を終え、薬師寺に向う話をしたところ、用
事があった一人を除き、受講者の皆が一緒に行くという。

薬師寺に着いた時には、夕刻の4時をまわっていた。
1300年そのままの姿を留めている東塔の前に立った時、中学生の時も、
高校生の時もここの前で、ありがたい説法を伺ったなぁと思い出してい
た。
導かれるようにして大伽藍堂の中に入ってみると、丁度、説法中だった。
その日は日曜だったので、夕方でも人が多く、ほとんどの席が埋まって
いた。私は、薬師如来像の左手の隅に空いた席を見つけ、静かに座った。
薬師如来像の大きなお顔が真横に見える。
その、なんとも美しい御姿を見ながら、説法に耳を傾けていた時だった。
「高田好胤という前々管主は…」と師の話をされた時、涙がボトボトと
溢れ出し、止め処なく流れ落ちてきた。
「なんと、ありがたいお坊様だったのだろう…。なんと人々の心と仏様
を喜ばせることをされた方なのだろう…」。
私は目の前の薬師如来様とともに、今は姿無き高田好胤さんにも心から
手を合わせていた。

やがて、説法が終わった。
しかし、私の涙はどうしたことか止まることがない。
あぁ…格好悪いなぁ…。
内心少し焦りもしたのだが、涙が出て仕方がないのだ。

ありがたかったのは、薬師寺のお坊様も、職員の方も、そして同行した
皆も、そんな私を放っておいてくれたことだ。
やっと、どうにか涙が止まった時には、ほとんどの参拝者は帰った後だ
った。

私は同行の皆が、お守りやお札を買っていた場所に向った。
そして、ふと目の前を見ると、先ほど法話をされていたお坊様が立って
いた。
「どちらから、お参りにいらしたのですか?」
確か、それが最初の質問だったと思う。私は、簡単に薬師寺にやって来
た経緯と今の気持ちを素直に話した。
じっと、私の話を聞いてくださった後、優しい笑顔で「それはそれは…
深いご縁に導かれて、今日こちらへいらして下さったのですね」と言っ
てくださり、更に、折角ですから5時の鐘も突くよう勧めてくださった。

ゴーォォン。
古都・奈良に響き渡る、鐘の音。
こんな素晴らしい時間を過ごせるとは、夢にも思わなかった。

感謝の気持ちいっぱいに、駅に向かい電車を待っていた時だった。

さきほどお話したお坊様と、皆がお守りを買っていた時にお話してくだ
さっていたお坊様が、二人でこちらに向って来られる。

「いや〜。一緒の電車みたいですねぇ」
「あれ?その袋?」
私が持っていたのは、2012年伊勢神社で行われるご遷宮に向けて、一ヶ
月前に東京の某場所で行われたパーティで頂いた紙袋だった。
「実は、わたし昨日、伊勢神宮へ法話で行っていたんですよ。薬師寺と
伊勢神宮は、実はご縁がありまして…。それにしても奇遇ですね。やっ
ぱり何か深いご縁がありそうですね」


夕刻の電車は、ほどほどに混んでいた。
電車の中で、つり革につかまりながら、差しさわりのない会話をしてい
たはずだった…。

「私、いつかインドへ行きたいと思っているんです」
「インドはどのような場所へ行きたいんですか?」
「ただ、お釈迦様の歩かれた足跡を訪ねたいだけです」
「いつ頃行かれる予定ですか?」
「さぁ…私にもわかりません。お釈迦様が私を呼んでくださった時が、
インドへ向う時だと思っています」
「かなり急で、後一ヶ月半くらいしかありませんが、来年1月に薬師寺の
安田管主が中心となって、天川さんが希望されるような旅に出ます。も
しよろしければ、一緒にインドへ行きますか?」

それは、信じられないような一言だった。
                     つづく…


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