■「お釈迦様に逢いたくて」 13』
旅の途中で、私たちは小さな白い紙を何枚も渡されていた。裏には、赤
いお地蔵様の印が押されている。
ガンジス河に行った折、その紙を船の上から流すので、亡くなった方や
ご祖先様などへ祈りごとを書きたい人は、前もって書いておくように、
とのことだった。どれだけ書いても構わないということだったので、私
は五十枚ほどもらい、何日かかけて少しずつホテルの部屋で毎夜、書い
ていた。
最初の一枚目には、九年前に亡くなった父親へ向けて、短い手紙のよう
にして書いた。二枚目は、夫の亡義父宛てに書き、それから祖父母や親
戚たち…と順々に亡者への手紙を書いていった。やがて、友人や知人の
ご先祖様宛てになり、最後の一枚を、お釈迦様宛てにした。
お釈迦様に、どうしてもこの旅に導いてくれた感謝の気持ちを伝えたい
と思ったのだ。
ガンジス河は、インド語でガンガーと呼ぶ。インドの母なる大河に、こ
の紙を流すと死者に気持ちが届くような気がした。
ブッダガヤを経った翌々日早朝、私たちは、ガンガー最大の聖地、ベナ
レスの辺にいた。
そこには、ガートと呼ばれるヒンズー教徒最大の沐浴所が無数にある。
インドはもとより世界中から信者たちがこの場にやってきて、沐浴をす
るのだ。ここで沐浴すると、どんな罪をも洗い流すことができ、カルマ
を落とすことができると信じられている。
また、遺体もガートに運び込まれ長時間かけて火葬され、ガンガーに流
されるのだ。ただし、僧侶と子ども、そして蛇に噛まれた人だけは、火
葬されることなく、そのままの姿でガンガーに流されるという。そこは
まさに生と死とが混然一体となった場だった。
私は、宗教というものは、人がよりよく生きていく為の指針となり、且
つ、安らかに彼岸へ渡る指針となるものだと思っている。
ベナレスのガンガーに佇む人々を見ていると、「聖地」に至った人々の
境地というものを、ほんのわずかだが垣間見れたような気がした。
もしも、私がヒンズー教徒であったならば、ベナレスの地に辿り着き、
ガートで沐浴できた時には、喜びで魂が震えることだろう。命尽きて死
を迎えた時、聖なる河、母なる大河ガンガーを前に灰となり、この河の
懐へ戻る姿を魂が知ったならば、至上の幸せを感じるだろう。
ガンガーは、あの世とこの世との境界にある三途の川のようなものなの
かもしれないと、ふと思った。
舟が沖合いに出た頃、乗船前に少女から買った、葉っぱで包まれたよう
な小花入りの蝋燭に火を灯して流した。
そして、薬師寺の安田管長様が一心に般若心経を唱えてくださる中で、
一枚ずつ、祈りを書いた紙を流していった。
ガンガーは、一見すると混濁し濁っているので、人によっては汚く見え
るかもしれない。しかし、日本の淀んだ川とは違い、異臭が漂うことは
ない。更にヒマラヤ山脈の南麓ガンゴートリー氷河を水源としているた
め、数々の薬石が水に溶けているらしく、十年経っても腐らないという。
どれくらい舟の上にいただろうか…。正面からゆっくりと大きな朝陽が
昇ってきた。あまりの美しさとありがたさから、私はどうしてもガンガ
ーの中に手を入れてみたくなった。
団体行動でなければ、私は間違いなく沐浴していただろう。
ガンガーの水は、驚くほどまろやかな、包み込んでくれるような感触だ
った。
舟の上で、死の旅立ちをしている白い煙を無数に見ながら、蘇る朝の光
を浴びていた時、魂が再生していく力を無性に感じていた。
つづく…