「お釈迦様に逢いたくて」 最終回』


ガンジス河で祈った日の午後、この仏跡巡礼の旅、最後の目的地である
サルナートへ向った。サルナートという場所は、お釈迦様が初めて仏法
を説いた場所である。

インドには、仏跡四大聖地というものがある。
お釈迦様が生まれたルンビニ(ネパール)、悟りを開かれたブッダガヤ
それから涅槃に入ったクシナガラ、そしてこのサルナートだ。
勿論、この地以外にも重要な場はいくつもあるのだが、特にこの四箇所
が最重要とされているらしい。
サルナートは鹿野苑(ろくやおん)と呼ばれているのだが、かつてお釈
迦様が悟りを開かれた後、初めての説法を五人の弟子と鹿にこの場で話
したことから、そう呼ばれていると聞いた。

かなり以前、手塚治虫の「ブッダ」を読んだ。その時には、まさか自分
がその地に行くとは思ってもいなかったのだが、中でも一番印象に残っ
たのが、このサルナートに向うシーンだった。
お釈迦様は、ブッダガヤで悟りを開き、それが宇宙の真理そのものであ
り、あまりの素晴らしさに、恭悦していたのだが、同時に一般の人々に
は難しく理解しえないことだと思い、いっそのこと天に戻りたいと思っ
た。しかし、そんなお釈迦様の前に梵天が現れ、幾度か説得されて、遂
に人々に法を説くことを決意する。

私は、このシーンが大好きだった。お釈迦様が、最後の苦悩に向き合う
時、天の使い(梵天)が現れる…。悟りを開いたはずなのに、最後の一
歩を迷い、そして、目に見えない存在から後押しされて、前に踏み出す
というところに、人間、お釈迦様を感じるからだ。

お釈迦様が鹿野苑に行くと、かつての修行仲間だった五人は、苦行から
逃げた堕落者の話など、聞かないと申し合わせていた。しかしお釈迦様
の姿や仕草を見た瞬間に、常人ではなくなったものを感じ取り、最初の
説法を受けた後、五人揃ってお釈迦様の最初の弟子となったのだ。

ここの地サルナートで、ブッダ(仏)と宇宙の真理である仏法(法)と
それを伝える僧侶(僧)とが確立され「仏教」という教えが誕生したの
だと教えられた。

旅の最後の行程に、この地を訪ねることが組み込まれていたことは、私
にとって、大変意味深いものだった。

お釈迦様は、この地において「初転法輪」と呼ばれる説法を行ったそう
だが、その内容は、数年前にダライ・ラマ法王のお話を聴きに行った折、
心に染み入った話であり、天河神社の宮司様から何年も前に伺っていた
話だった。そして、今まで幾多の人々から教えられていたことが、仏教
発祥の地で最初に語られていたことだということを、初めて知ることが
できた。
私は、お釈迦様のこの教えを心に深く刻み込むために、インドの地まで
導かれてやって来たのではないかと思った。

この連載を終えるにあたり、改めてお釈迦様が、このサルナートの地で
説いた仏法を最後に書き記したいと思う。


お釈迦様は、「中道」という根本的な考え方は、「四諦(したい)」と
呼ばれる四つの真理の中にあり「八正道」と呼ばれる正しい生き方を実
践しなさいと説いた。

「中道」は、難行苦行だけを重ねるばかりではなく、また本能のまま自
堕落に生きているだけでもなく、偏らずこだわらず、両極端にならずに
柔軟に考え生きなさい、ということだ。

「四諦」は「苦・集・滅・道」の意味を指す。

「苦」は、四苦八苦という苦しみから誰しも逃れることはできないとい
うことだ。つまり、生きる苦しみ、老いる苦しみ、病の苦しみ、死の苦
しみと、更に愛するものとの別れの苦しみ、怨みや憎しみを持つ人とも
会わなければならない苦しみ、求めても得られない苦しみ、そして執着
心が出てしまう苦しみ。

「集」というのは、その「苦」の原因そのものが、自己の欲求や欲望が
集り起こってくることである。

「滅」は、そんな苦の原因を集めず、煩悩を滅してどんなことにも動じ
ない精神状態になるということだ。

「道」とは、何事にも動じない境地に至る為の実践的な方法をいう。
それが「八正道」と呼ばれるものである。

「正見、正思推、正語、正業、正命、正精進、正念、正定」

この言葉だけを読むと難しすぎるので、薬師寺の安田管長様が説明され
た八正道を引用させていただこうと思う。

正しい見解、正しい思考、正しい言葉、正しい行い、正しい生活、正し
い努力、正しい思いやり、正しい精神統一。
これら八つの正しい道を歩むことが、真理に沿った生き方なのだという。

私は一番難解なのは何をもって「正」と判断するかではないかと思った。

しかし、自己中心的な考えに執着するのではなく、他者の身になって考
えてみると、少しこの「正」の道に近づくことができるような気もする。

このインドの旅に一緒に行った母が、子どもの頃から私に常々言ってい
た言葉がある。それは「あなたが、相手の立場だったらどう感じるか、
いつも思いながら話し、行動しなさい」というものだ。

十年近く前、たまたま「ブッダ展」に行き、いつかは行ってみたいと思
っていたインド。
昨年十月、ホピの大地から戻る途中、駅舎でたまたま出会うことになっ
たインド人、ラジェンドラ博士から「ブッダがあなたを呼んでいます。
早くインドへ来なさい」と言われたことが全ての始まりだった。
薬師寺の小林澤應僧侶との出会いから、急にインドへ行くことが決まり
母と二人、仏教のことなどほとんど何も知らない状態でインドへ向った。

お釈迦様にお逢いしたい…。お釈迦様の説かれた仏法の根本に触れてみ
たい…。そう思っていたが、実は振り返ると、今まで生きてきた中で、
幾度と無く沢山の人々から教えられていたことばかりだったようだ。
「普通に生きていく中に、大切な教えは、沢山散りばめられているんだ
よ」とお釈迦様から教えられているような気がしている。

仏教に関していえば、ようやく入り口に辿り着いたようなものだ。まだ
まだ勉強しなければならないことは沢山ある。そして、これからも、多
くの出来事とであっていくことだろう。
でも、どんなことであっても謙虚に受け取り学びながら、少しずつ成熟
した人間になっていけたら…と願っている。

                         ー終ー



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