「お釈迦様に逢いたくて」 11』


ブッダガヤ。

そこは、お釈迦様が菩提樹の木の下で悟りをひらかれた仏教最大の聖地。
ゴータマ・シッタールダという人物がブッダ(悟りを開いた人)となら
れた地だ。

この旅の、私自身の最大の目的地が、このブッダガヤだった。この地に
向う日をどれほど心待ちにしていたことだろう。
チベット僧侶やタイの僧侶などでごった返す大塔で、私は様々な国の仏
教徒たちと共に、幾度も五体当地を繰り返した。
五体当地というのは、足と膝、肘、そして頭を大地につけた後、全身を
伏せて祈るもので、手は上を向ける。手にお釈迦さを受けるというとこ
ろから、この祈り方があるそうで、五体当地をこの地でできる幸せを、
他の国々の僧侶や信者と共に出来たことは、ありがたかった。
ブッダガヤでは、書ききれないほどの感動に包まれたのだが、中での一
番印象的だったのが、不思議な青年「アソサン」との出会いだった。

インドでは、何処へ行っても物売りの人々が四六時中ついてまわってく
る。
ブッダガヤの大塔にお参りに行き、菩提樹の下で法要が開かれた時もそ
うだった。カタコトの日本語で、両手いっぱいに持った物を差し出して、
押し売りしてくるのだ。お参りする場に行き着くまで気を抜けない。
その日も、小柄な青年が私の横にやってきた。私は、いつも通りの物売
りだと思い、何も返答せずにお参りをしていた。
すると、突然「僕はお祈りの邪魔をするつもりはありません。どれほど
大切な時間をあなたが今過ごしているのかもわかりますから」と流暢な
日本語で言った。私は驚いて、その青年の顔を見た。
すると青年は「僕は、アソサンといいます。このブッダガヤの中でお店
でアルバイトをしています。もしもあなたがここの場所に来た事の記念
になるような物を一つ買う予定ならば、うちの店で買ってもらえません
か?」といった。
私はやはり、丁寧な物売りか…と内心がっかりした。
なので、そっけなく「何も買うつもりもないですから」と断った。
が、彼はそんな言葉が耳に入らなかったかのように、「お参りするのな
らもう一つ大切な場所がありますよ」とグイグイと私の手を引いて大塔
の裏手にある池の前まで連れて行き「ここのハス池でお釈迦様が悟りを
ひらかれた後、沐浴した場所です」と説明してくれた。
私がお参りしている間、彼はそっと静かに見ているだけだった。
バスの集合時間が近づいたので、お礼を言って立ち去ろうとした時「も
しもまた明日会えて、何かを買う時間が取れたなら、その時には立ち寄
ってくださいね」と言ったので、「明日は大塔へ来れるかわからないけ
れど、もしも会えたらお店に行きますね」と約束した。

私はなんとなくブッダガヤで何か記念になる物を一つ買いたくなってい
た。

翌日、午前中に「インド山日本寺」に行った。
今から四十年ほど前に、日本仏教の各宗派の垣根を越えて協力しあって
建立されたのが、この日本寺だ。お寺の中には、無料の診療施設と幼稚
園とが併設されている。
かつて、日本から当時巡礼に行った何人かの僧侶たちが、仏教が生まれ
たこの土地に、日本としても何か返礼をしたいということでお寺を建立
し、更に施設が併設されたそうだ。インドの貧しい子ども達に教育の場
を与え、また医療を必要とする人々に無料で診察している施設が日本人
の力で出来ていたことに、嬉しい気持ちになった。
この日は、薬師寺の安田管長様が昨年、日本寺の理事長に就任されたと
いうことで、菩提樹学園幼稚園の園児たちが私たちの為に歓迎会を催し
てくれた。可愛らしい幼稚園児たちがインドで今流行っているダンスや
歌などを披露してくれたので、ほんの少し今のインドの流行も知ること
が出来て楽しい時間を過ごすことができた。

診療所、幼稚園とも運営費は全て寄付でまかなっているというので、私
も自分のできる範囲で募金協力をした。

その後、静かに日本寺の中で般若心経の写経を終えて、お寺の外に出た
時だった。誰かが私の左肩を叩く。振り返ると昨日会ったアソサンが立
っていた。
私が驚いていると「僕は、ここの幼稚園の卒園生なんです。この日本寺
で仏教のことやお釈迦様のこと、お祈りすることもいっぱい教えてもら
いました。だから、僕はもっと日本のことが知りたくて日本語を勉強し
ました」という。
私は、昨日までのやや警戒した思いが全て払拭されるような気がした。

次の移動先、スジャータ村に着いた時だった。バスから降りて歩き始め
たとき、また左肩を叩かれた。アソサンだった。
どうして、そこにいるのかわからなかったが、とにかく彼は私の隣でニ
コニコ笑っていた。
                        つづく…



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