紀伊半島の南に位置する熊野は、いにしえより大自然の中に神々が隠れこもるところとされ、日本の原郷ともいわれてきました。
そんな熊野信仰の中心にあるのが熊野三山です。本宮(熊野本宮大社)、新宮(熊野速玉大社)、那智(熊野那智大社・那智山青岸渡寺)は、日本屈指の聖域となり、熊野三山信仰が広く全国に広がりました。
その先駆けとなったのが、上皇たちによる熊野御幸(上皇の熊野詣)です。中でも最多の熊野御幸を行った後白河上皇は、住まいがある京都にも熊野の神々にお越し頂きたいと、熊野より土や樹木全てを運び、新熊野(いまくまの)神社を建立しました。
そんな新熊野神社は後に「能楽の聖地」といわれる歴史的大舞台となるのです。
室町時代、今熊野神社で勧進猿楽を行った世阿弥(鬼夜叉)とその父、観阿弥(観世清次)親子の芸が将軍・足利義満の目にとまり、彼らは手厚く保護されます。後ろ盾を持った世阿弥は、猿楽の芸術をより高め洗練されたものとして「能楽」を大成していきました。
能楽は、熊野のご神縁により誕生したと言っても過言ではないかもしれません。
また能楽は、天下泰平、国土安穏、五穀豊穣を祈る芸能として、神社・仏閣での慶事の折には演能が行われ、日本屈指の聖域・熊野でも、室町時代から江戸時代までは、頻繁に上演されてきました。
そこで、かつてのように熊野三山の聖域において、神々に感謝と祈りを込めて能楽を届けたいと、「熊野三山奉納公演『能舞』〜日本の古典芸能と祈りの世界〜」を開催することになりました。
これは、昨年九月、熊野三山それぞれにて謡曲単独奉納を成した観世流シテ方能楽師の鈴木啓吾氏と、鈴木氏と熊野三山を結び、本公演を立案した作家・プロデューサーの天川 彩を中心に構成された「熊野三山奉納公演『能舞』実行委員会」が主催するものです。
本公演につきましては、三社一寺の各宮司様、住職様はじめ、各方面の全面協力を得て開かれることとなりました。二〇二四年七月には、熊野三山を含めた「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界文化遺産登録二十年周年を迎え、これまでも、それぞれの場で数多くの記念行事等が行われてきましたが、今回、そのファイナルを飾る特別企画として開催されます。
尚、熊野本宮大社につきましては、旧社地大斎原の大鳥居建立二十五周年記念も兼ねての催しとなります。
今回行われます奉納は、素謡の「神歌」に加え、笛や小鼓、大鼓、太鼓の囃子と地謡と共に装束や能面をつけて行われる「舞囃子」の形式です。
「能」のダイジェスト版とでもいうカタチで行う為、『能舞』というタイトルになりました。
熊野信仰は、「過去世=新宮」「現世=那智」「来世=本宮」という三世救済の聖地として発展したこともあり、今回の三山奉納も、新宮・熊野速玉大社、那智・那智山青岸渡寺並びに熊野那智大社、そして本宮・熊野本宮大社の順で行います。
演目は、奉納者鈴木啓吾氏が、三山それぞれに縁あるものを選びました。全て夕刻からの幽玄な薪能形式での上演となり、まずは神事として「神歌」の奉納が行われ、引き続いて火入れ式が行われます。更に各神社の宮司様、那智では宮司様とご住職様にもご登壇いただき、天川 彩ナビゲートによる「芸能と聖地の祈り」についてのお話しも伺ったあと、いよいよ能舞の上演となります。
具体的な場所や時間、演目などにつきましては「内容」をご覧ください。
尚、今回の公演開催に当たり、かなりの費用を要します為、当初有料チケットでの公演を検討しておりました。しかし熊野の神様の御前での催しということもあり、どなた様でもご自由に観覧いただけるものが神様のご真意ということで無料とさせていただくことにいたしました。
そこで、開催費捻出の為、本公演にお気持ちを寄せてくださる企業様、個人様からの協賛を募り、ご協力いただくこととなりました。そのような理由により、お席は協賛席並びに関係者席のみとなり、それ以外の皆様は立ち見での鑑賞となります旨、予めご了承ください。
熊野三山全てにおいての能楽奉納公演は、江戸時代以来の開催になるとのことで、歴史的な意味合いも持つものとなりそうです。
是非、この歴史的瞬間に皆様お立ち合いください。
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