屋久島をこよなく愛し、アニミズムという世界観を見事に生き切った世界的な詩人・故 山尾三省氏。
三省さんが、どのような考えを持って生きて来られたのか家族に贈った「遺言」を読むと伝わってきます。


■山尾三省(やまおさんせい)

1938年 東京・神田生まれ。 早稲田大学文学部西洋哲学科中退。
60年代後半、社会変革を志すコミューン活動「部族」に参加。
73年 インド、ネパールの聖地を1年間巡礼し、77年 家族とともに屋久島移住。
以後、屋久島からアニミズムやいのちの根源、自然と繋がる生き様を詩やエッセイにして、数々発表。
2001年8月、惜しまれながら胃がんにより62歳で死去。
そのメッセージは今も尚、世界中の人々の魂に響き続けている。


◆山尾春美(やまおはるみ)

1956年、山形県生まれ。横浜市内の養護学校で働いていたとき三省氏と知り合い、
89年、三省氏と結婚し屋久島へ。
三省氏が大切にしていた「自分の手で生活を作り、家族と共に暮らす喜び」を
子ども達に伝えるべく、今も屋久島の静かな山間の集落で、丁寧に暮らしている。
現在、養護学校の非常勤講師として働きながら、友人と共に「屋久の子文庫」を復活させ、
地域の子ども達に本の楽しさを伝えている。






     
≪山尾三省 「子供達への遺言・妻への遺言」≫

   
 僕は父母から遺言状らしいものをもらったことがないので、 
  ここにこういう形で、子供達と妻に向けてそれ書けるということが、
  大変うれしいのです。

  というのは、ぼくの現状は末期ガンで、何かの奇跡が起こらな
  い限りは、2、3ヶ月の内に確実にこの世を去って行くことにな
  っているからです。
  そのような立場から、子供達および妻、つまり自分の最も愛す
  る者達へ最後のメッセージを送るということになると、それは同
  時に自分の人生を締めくくることでもありますから、大変身が引
  き締まります。

  まず第一の遺言は、僕の生まれ故郷の、東京・神田川の水を、も
  う一度飲める水に再生したい、ということです。神田川といえば、
  JRお茶の水駅下を流れるあのどぶ川ですが、あの川の水がもう
  一度飲める川の水に再生された時には、劫初に未来が戻り、文明
  が再生の希望をつかんだ時であると思います。
  これはむろんぼくの個人的な願いですが、やがて東京に出て行
  くやもしれぬ子供達には、父の遺言としてしっかり覚えていてほ
  しいと思います。

   第二の遺言は、とても平凡なことですが、やはりこの世界から
  原発および同様のエネルギー出力装置をすっかり取り外してほし
  いということです。自分達の手で作った手に負える発電装置で、
  すべての電力がまかなえることが、これからの現実的な幸福の第
  一条件であると、ぼくは考えるからです。

    遺言の第三は、この頃のぼくが、一種の呪文のようにして、心
  の中で唱えているものです。その呪文は次のようなものです。
  南無浄瑠璃光・われらの人の内なる薬師如来。
  われらの日本国憲法の第9条をして、世界の全ての国々の憲法
  第9条に組み込まさせ給え。武力と戦争の永久放棄をして、すべて
  の国々のすべての人々の暮らしの基礎となさしめ給え。

  以上三つの遺言は、特別に妻にあてられたものなくても、子供
  達にあてられたものでなくてもよいと思われるかもしれませんが、
  そんなことはけっしてありません。

   ぼくが世界を愛すれば愛するほど、それは直接的には妻を愛し、
  子供達を愛することなのですから、その願い(遺言)は、どこま
  でも深く、強く彼女達・彼ら達に伝えられずにはおれないのです。
  つまり自分の本当の願いを伝えるということは、自分は本当に
  あなたたちを愛しているよ、と伝えることでもあるのですね。
  死が近づくに従って、どんどんはっきりしてきてることですが、
  ぼくは本当にあなた達を愛し、世界を愛しています。けれども、
  だからといって、この三つの遺言にあなたがたが責任を感じるこ
  とも、負担を感じる必要もありません。
   あなた達はあなた達のやり方で世界を愛すればよいのです。市民
  運動も悪くないけど、もっともっと豊かな”個人運動”があるこ
  とを、ぼくたちは知ってるよね。その個人運動のひとつの形とし
  てぼくは死んでいくわけですから。

 『MORGEN』2001年7月7日号からの転載


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