天河太々神楽講 『天の川に祈る』 ≪参加者の感想≫ |
また、お掃除という大義名分もあり(?)、普段一般の者が立ち入ることがないであろう場所にも出入りさせていただけたこと、日常的にいかに場を清めておられるかを知ることができたこと、などの収穫もありました。朝拝の、神官の方々や列席者皆で奏上する祝詞・般若心経には、魂が喜んでいる、という気持を味わわせていただき、七夕の短冊を書くワークでは、「自分は何をお願いするのか」に今の自分を見つめなおすこととなりました。天河さんは村の方々と共にあることも知り、参拝に伺うだけでは得られない多くの触れ合いや気付きをいただいた3日間でした。ありがとうございました。 |
このように七夕ワークを通して様々なことを体感し、日常では味わえない人との繋がり、そして新たな気づきを得ることができ、忘れられない3日間となりました。本当にありがとうございました。 |
その感覚がずっと胸のどこかにあったのでしょうか、私は天の川に祈るに参加して、今回始めて自分の家のご先祖様の名前を書いて灯篭を流させていただこうという気持ちになりました。 天河の七夕には、全国各地から本当に大勢の方がいらっしゃり、灯篭を流されます。しかし、さまざまな事情でこの場へ来られない方たちの代わりとなって、灯篭を流させていただくというお手伝いもこのワークの中のひとつでした。 一つ一つの灯篭に火をともし、川へそっと押し流し、ゆらゆらと流れていく灯篭を眺めていると、まるで灯篭ひとつひとつがひとつの家の歴史、またはひとりの人生の歴史を背負っているかのように見えてきました。それぞれがぶつかり合ったり、また時に離れたりしながらも、皆が同じ方向に向かってゆっくりと流れていきます。人が出会ったり別れたり、また時には悲しい戦をしながらも、それでもそれらを大きくつつみこんで、川の流れは常によどまずゆるゆると流れていきます。まるで川の流れそのものが、ひとつの大きな歴史の絵巻物語のようでした。 地上に流れる天の川、空に流れる天の川、そして辺りを取り囲む美しい自然、そして漆黒の暗闇はずっと遥かな昔から変わらずここにあったのでしょう。 そのおおらかな自然の中に生かさせていただいて、今ここにいるのだという感覚。そしてこの場に居合わせた人、どの顔を見わたしても、きっといつかどこかでご縁のあった人ばかりなのだろうかと思うと、胸が詰まるような思いでした。 私自身、時には川の流れによどんだり、つまずいたりするときもあります。しかしちゃんと見守ってくださっている自然と、そして今までをつないでいただいたご先祖様たちがいるということを思うと、自信と勇気が沸いてくるような思いでした。自分はひとりだけで生きているのではなく、生かされているのだ、という本来当たり前の感覚。それがやっと腑に落ちたような天河での七夕の夜でした。 |