「天の河に橋かけて」(9)

■[魂の道標 3]

東京、八ヶ岳と持ち歩いていた大きな荷物を京都駅の大型コインロッカーに入れて、私は神妙な面持ちで鞍馬に向かった。9月の平日ということもあってか、鞍馬に向かう電車の中もガランとしている。終点の鞍馬駅で降りた時、私はこの旅の終わりが近付いていることを感じて、改めて深呼吸をした。

仁王門をくぐり、清少納言が『枕草子』の「近うて遠きもの」の中で「くらまの九十九折といふ道」と記した九十九折参道を一歩一歩踏みしめる。

登り始めてから、およそ三十分ほどで鞍馬寺本殿の前に立った。空一面が澄み渡り、比叡山がすぐ側に見える。

鞍馬寺。
その歴史は、宝亀元年(770年)鑑真和上の高弟・鑑禎上人によって毘沙門天を祀る草庵が作られたのがはじまりとされている。義経が幼少の頃、ここの鞍馬天狗に武術を習ったという話も有名だ。しかし、鞍馬寺が霊場中の霊場ということを知っている人は意外に少ないかもしれない。

鞍馬寺のご本尊は尊天という。
尊天とは、宇宙のエネルギーそのものであり、万物全てのいのちを生かすものらしい。愛を月輪の精霊ー千手観世音菩薩、光を太陽の精霊ー毘沙門天王、力を大地の霊王ー護法魔王尊の姿で表し、この三身を一体として「尊天」と称するそうだ。

私は、本殿金堂前の小さな畳に座り、静かに般若心経をあげた。そして本殿脇を歩いていた時だった。それまで気がつかなかった地下に続く階段から、何かが呼んでいるような気がして、降りていった。

地下は、とにかくほの暗い。
ロウソクの炎が、細い迷路のような道を照らしている。そこに、おびただしい数の小さな白い壷が置いてあったのを見て、正直なところギョッとした。しかし、説明書きを読むとそれは万物のいのちの為、自ら役割を持って生きることを誓った尊天信仰の人々の清浄髪であるとわかり、私は、無数の白い壷に手を合わせた。

なんと尊いことだろう…。

天河にしろ、鞍馬にしろ、生きとし生ける全ての為に祈り、そして自らの役割を持ち歩む人が、この世に数多くいるのだ。

私は、何か特定の宗教や宗派には属していない。が、目に見えない大いなる意思、そして八百万の神々、アニミズム的な信仰心は常に持っている。「万物のいのちの為、自ら役割を持って生きることを誓う」これは私が天川 彩になった日、大いなる意思に誓ったことだ。

鞍馬に呼ばれるようにして来たのは、改めてそれを確認する為だったのだろうか。地下の中央に、厳かに祀られていた尊天の三尊(力と大地を司る魔王尊、愛と月を司る千手観世音菩薩、光と太陽を司る毘沙門天王)の前で合掌していると、強烈な何かの力を感じた。

地上に上がった時、突然の明るさとエネルギーの違いに少しクラクラしていた。奥の院から貴船に続く山道を歩きながら、私は自らの天命を確認し、その天命に従う為に、今は東京に行かなければいけないと強く確信した。

そして、私の本来のパートナーはM氏ではないということも、この時はっきりとわかった。前夫M氏は、私との結婚生活中において、隠れて幾人もの女性と情事を繰り返していた。私も生身の女。正直なところ幾度もそのことで傷ついた。が、その度ごとにどうにか、こうにか関係を修復し繕いながら十七年間、結婚生活を続けていた。

しかし奈良でのお祭りから帰って来た後「君は僕の女房なんだから、天川 彩なんかやめて普通の主婦に戻ってくれ」という言葉に、魂が悲鳴をあげたのだ。

心が傷ついてもどうにか、傷を見ないふりをして自分を誤魔化すことは出来るが、魂が悲鳴をあげたら、もう無理だ。

貴船に着いた時、足は棒の様だった。貴船の夏の名物、川床料理はそろそろシーズンが終わっていたのか、大半の店の川床に組まれていた畳は上がっていた。普段なら、決してそんな贅沢はしない。

だが、結論を出せた自分自身にご褒美とお祝いを兼ねて、川床の懐石を食べさせてあげようと思った。

幸いにして、貴船神社向かいの料亭が、まだ川床で懐石を出していた。私は思い切って暖簾をくぐった。

「何名様どすか?」
「一人なんですが、川床で懐石食べることができますか?」
「お客はん、お一人で?」
「はい」

品のいい仲居さんが、川床のいい席に案内してくれる。
川床から上がるヒンヤリとした風が、火照った足に心地よい。

「それにしても、女性がお一人で川床懐石は珍しいどすな。私そんなお客はん初めてどすわ」と、料理をテーブルに置きながら、仲居さんが言う。

「そうですか。珍しいですか。実は人生の決断がついたお祝いなんです…」
「あら、それはおめでとうさんどす。で、どんなお祝いなんどすか?立ち入るようで、悪いかしら?」
「いいえ…。自分の道をきちんと歩むことにしたんです。それで、別れる決心しました」
「自分で、道を決めたんやったら、ほんまにお祝いやわね」
「ええ」
「でも、今度来る時は、やっぱり川床の懐石は大好きな男はんにご馳走してもらった方がええわよ。そんな男はんは、いはらへんのどうすか?」

そんなの余計なお世話だなぁと内心思ったのだが、

「残念ながら、今はいませんね。いつか、そんな相手が見つかればいいんですけれど」と答えた。

「あら、それやったら、そこの貴船はんにお祈りしてきはったら、よろしいわ。縁結びの神様やから。きっと、素敵な人にめぐり合うわ。そしたらその時に、もう一度二人で、ここに来て懐石食べてくれはたったらええわ」

そうか…そう考えたらいいのか…。

「そうします」
「そうや、駅まで車で送ってあげはるさかい、食べた後、ゆっくりお参りしたらよろしいわ」

食後、 私は貴船神社でこの時旅で初めて、自分の幸せを祈りながらそっと縁結びの紙縒りを結んだ。

風が吹くまま、魂が導くままに出たこの旅は終りを迎えていた。私は、駅でコインロッカーに入れてあった大きな鞄を抱え、8日ぶりで自宅へ戻ることにした。

つづく…