「天の河に橋かけて」(7)

■[魂の道標 1]

自分の体調を崩して、初めて聞いた心の叫び。
1999年9月。私は心に問いながら、風が吹くまま、魂が命ずるまま行き先も決めず、旅に出ることにした。

「東北に行こう」

どうして、そう思ったのかはわからないが、北を目指すことにした私は、とりあえず東北新幹線に乗る為、東京へ向かった。しかし、東京に着いた途端、台風の影響で東北へ向かう新幹線が軒並み止まってしまっていた。

その日は、取りあえず駅で紹介してもらった銀座のホテルに泊まり、翌日、東北へ発つ予定にしていたが、次の日もまだ交通網が混乱していた上に台風は東北地方に向かっていたので、私は急に東北へ向かう気力が失せてしまった。

だが、正直な話をいうと私は東京に全く魅力を感じていなかった…というより、あまり好きな場所ではなかった。だから、早く別の場所へ移動しようと思っていた。が、肝心の向かう場が自分の中で決まらない。

「どうして、私は東京にいるんだろう…」

取りあえず、東京に住んでいる何人かの知り合いに電話をかけたのだが、どういう訳か誰にも繋がらない。たった数年前の話だが、当時はまだ携帯は、今ほど普及しておらず、友人の中でも携帯を持っている人は少数派だった。

話し相手もいない、大都会の中の人ごみ。

目的も無く、ただそこに居るだけの私。
そう考えていると、とてつもなく「自分」という存在に心細くなった。

ならば…私は大都会を毛嫌いせず、この孤独感を逆に楽しもう…。その日、青山のホテルにチェックインした私は、足がくたびれるほど東京の街を一人歩いてみた。夕方、高級食材を扱っている紀伊国屋スーパーで、バゲットやデリカ、ワインを買い込んだ。ホテルに戻り、表参道で買ったバブル入浴剤をバスタブに入れて、ゆっくりとバスタイムを過ごしてから、一人でリッチなディナーを楽しんでみた。

自分の為に、自分が演出した優雅な時間…。
自分に「お疲れ様」と労ってあげているようだった。

「東京でのこんな時間も悪くないな…」そう思った途端、心の底に固まっていた頑固な何かが溶け出していったように思えた。

翌日、急に思い立ち、知り合いを尋ねて渋谷のNHKに行くことにした。NHK渋谷放送局は、亡き父が単身赴任の時期も合わせると20年近く居た場所だ。子供の頃、幾度か父を尋ねて行ったことがある。普段家で見せる父の顔と局の中での父の顔は、まるで別人のようで、幼心に格好いいと思った。ほんの少しの不安を抱えた一人旅。亡き父の気配をどこかで感じながら動きたかったのだろうか…。

これといって、その知り合いと話すことがあった訳でも無かったにだが、久しぶりにNHKの中に入りたいと思った。この日、約束の時間より3時間も早く着いたので、とりあえずコインロッカーに荷物を置いて、周囲を散策してみることにした。
と、途端に大きな森が目に飛び込んできた。

「へ〜。東京のど真ん中に、こんな大きな森があるんだ…」

私は、そこが明治神宮の森であることを全く知らなかった。大鳥居を潜り、鎮守の森に入った途端だった。私の後頭部と背中に向かって、強い風が吹いてきた。

立ち止まることも出来ないような、強い風が私を押し続ける。だが、不思議なことに森の木々は風に揺らされてはいないようだ。私は、風に押されるまま進んだ。そしてその風は、神宮の森の一番奥にある建物の前で、ピタリと止んだ。導かれるように連れて行かれた場所にひっそりと佇んでいたのは、宝物殿だった。

中に入ると、ギシギシ床板がしなる。相当古い建物のようだ。中には、明治天皇ゆかりの品々が展示されており、壁面には、神武天皇から昭和天皇まで歴代天皇の肖像画がかけられていた。

「何故、私はここで、天皇の肖像画を見ているのだろう…」

およそ2時間。ただただ私は歴代天皇の肖像画に囲まれて過ごしていた。簡単にその疑問の答えなどわかるはずも無く、それは今もまだ尚謎なのだが、何か強い力で明治神宮に呼ばれたような気がした。

約束の時間になり、NHKの知り合いに会いに行った。が、失礼な話だがその時相手と何を話したのか、今となっては全く覚えていない。

結局のところ、私は明治神宮に呼ばれて行く為に、その近くにあったNHKがプロセスとして思い浮かんだだけだったのかもしれない。

そして、その日の夕方、急に八ヶ岳へ行こうと思った。以前から、その時期に八ヶ岳で野外音楽イベントがあることは、友人から聞いていたが、この旅を始めた時は、八ヶ岳に行くことなど全く頭の中に無かったことだ。

自分でも可笑しかった。どうして…急に明治神宮から八ヶ岳なのだろう、と。

実は、2年後その答えがわかるのだが…その時点では、わかるはずもなかった。そして、銀座のデパートへと走り、寝袋と防寒用の服、登山用靴下やそれらが入る大きなカバンを購入した。(今なら、決して銀座でアウトドア用品は買わないと思うが…)

翌朝、私は八ヶ岳に向う為、電車に乗った。

つづく…