「天の河に橋かけて」(3)

■[仕事との出合い]

高3の夏休みに、急遽思い立ちアポなしで飛び込んでみた大手音楽プロモーション会社。私は3日後、再び会社を訪れた。

「3日考えましたが、やはり考えは変りません。雇ってください!!」

受験生である私にとっては、重要な夏休みでもあったが、同時に人生がかかった大切な時でもあると思った。

社長は私の熱意に根負けしたのか…夏休み期間、幾つかのコンサートの裏方スタッフを手伝う許可を出してくれた。

高校生の私にとっては、何もかも新鮮で憧れの世界だった。高額な料金を支払ってもらった夏期講習に、結局途中で行かなくなった後ろめたさが若干あったものの、自らの力で憧れていた世界に触れる喜びを実感していた。

しかし、あっという間に夏休みは終わってしまい、明日から新学期という日になってしまった。

私は思い切って、社長に言ってみた。

「明日から2学期になるのですが、来年の春からここで働ける見込みはあるのでしょうか?もし、可能性が薄いということなら、これから受験に向けて、遅れを取り戻さなければいけないので、明日からは、今までのようにお手伝いに来れません。」

すると、社長は翌日改めて入社面接をしてくれるという。翌日、セーラー服姿で、行きなれた事務所へ行き、面接試験を受けた。

その結果、私は来春から、正式に就職が決定した。

後日、学校と親に進学を取りやめたことを伝えると、どちにも猛反対された。しかし、学校の先生も私の両親も、運命の流れを止めることは出来なかった。

新入社員時代は今にして思えば、やはり、かなり過酷な勤務だったかもしれない。

朝、7時前には出社して、出勤している人々にチラシを配る作業から1日が始まり、8時半には、その時間に出社してくる女子先輩社員達と一緒に事務所の掃除やお茶くみ。

それからお使いや雑用をして、夕刻、女子先輩社員が帰った後は、男子社員の先輩にくっついて仕事を覚えていった。また、多い時には週に幾つもコンサートが重なっていたりしたので、おのずと毎日家に帰るのは深夜となってしまう。

時折、あまりに勤務時間が長いことを心配した母親が「労働基準局に訴える」と息巻いていたが、当の本人の私は楽しくて仕方が無かった。しばらく経って、元来書くことが好きだった私に、書く仕事が舞い込んできた。イベントやコンサートのチラシやポスターの文章を書かせてもらえコピーも書かせてもらえるようになり、書くことと、アシスタントプロモーターの仕事が自分のポジションとなってきていた。

しかし、運命のいたずらとでもいうのだろうか…。

まさか、この会社を私が辞めることになろうとは、この時点で知るはずもなかった。

つづく…