「天の河に橋かけて」(12)

■[平和の民・ホピの村へ 1]

その場に着いたのは丁度正午だった。

前日、天河神社で友人から六甲山のトーテム・ポールを見に行かないかと誘われた時、正午に集まるという話は聞いていたが、まさかその時間に間に合うとは思ってもみなかった。

正面の建物からゾロゾロと何人か出てきた中に、誘ってくれた友人の姿があった。

「どうして、アヤちゃんここにいるの?!」

私の姿を見つけるなり、半ば興奮した声で、周りにいた何人かに言った。

「彼女が今、噂していたテンカワアヤさん」

どうやら、私のことが直前に話題になっていたらしい。トーテム・ポールは、神戸の青い空に聳えるように立っていた。

「きっと、天川さんと会えると思っていましたよ」トーテム・ポールの前でそういいながら握手を求めてきたのは、メガネをかけた男性と、とてもキュートな女性のカップルだった。男性の名は徹さん、奥様の名はいずみさん。その時まで、全く知らなかったのだが、二人はマヤ歴の研究家として、かなり高名なお二人だった。

ひょんな話から、私が翌々日にアリゾナのホピ族の村へ行く話をすると、思ってもみなかった意外な話を教えてくれた。

実は、奥様のいずみさんは、中学生の頃、社会科の教科書にあった世界地図の中に、妙に惹かれる場所を見つけ、そこに印を付けたそうだ。そこが、どこの何という場所なのかは、全く知らずにである。

やがて大人になり、徹さんと出会った時「新婚旅行で中学の頃から気になっていた場所に行きたい」と切望したそうだ。そして、その願い通り、地図に印をつけた場所に向かうことにしたという。

その場所はアメリカ大陸の真ん中。いずみさんが直感を頼りにナビゲートし、徹さんが延々と運転して辿り着いたのは、アリゾナ州にあるホピ族の村だった。勿論、この時二人ともホピ族という先住民族がそこに住んでいることなど全く知らなかったという。

ある日、徹さんは村に置いてあったマヤ歴に関する本を偶然見つけ、内容の濃さに感銘を受けて、それを日本語に翻訳しなければならないと強い衝動に駆られたらしい。

そうして翻訳したマヤに関する本を、徹さんは意気揚揚と日本の出版社に持ち込んだらしいが、結果は、全くと言っていいほど取りあってはくれなかったそうだ。

だが、それから約10年。書店には、徹さんが翻訳したマヤ歴やマヤ文明の本がズラーっと並ぶようになった。どうやら、時代が徹さんたちに追いついてきたようだ。

「明後日、ホピの村に行くんですよね。ならばセカンドメサに予言が彫られた場所があるので、そこに行くことをお勧めしますよ。きっと今日、ここで出会ったのも偶然ではないはず。僕らがホピの村に向かった時のような、何か大きなエネルギーが動いているような気がします」

それから2日後、私はいよいよ平和の民・ホピ族の村へ向かう為に飛行機に乗った。

                          つづく…