「天の河に橋かけて」(1)

■[なにかの感覚]

「どうしても行かなければ…」。
なぜ私がその場所へ向かうのか、自分でも理解不能なまま旅に出ることがある。しかし、向かった先には必ず次ぎに繋がる何かが待っている。
 
空が、大地が、草木が、海が、石が、鳥が、先人達が残した遺跡が、そして地で出会った人々が…私の五感を通して忘れてはいけない大切なことを伝達してくるようだ。

通常の社会理念の中で、滞りなく生きる為に着ていた鎧。この重い塊を脱ぎ去った時から、錆びていたアンテナが感知し始めたのだろうか…。理由もわからないまま、私はまた旅に向かう。
 
私の生まれ故郷は北の大地、北海道。大人になった今、その豊かな自然の恩恵と親しんだ記憶が鮮明に甦る。

私は幼い頃から晴れた冬の日が好きだった。前の日に降り積もった真っ白な雪の上で大の字になり、ハラリハラリと静かに舞い降りる雪を眺めるていると、次第に空と雪の境界線がしだいにわからなくなり、自分の体がふ〜っと空の中に吸い込まれそうになる。そんな感触がたまらなく面白く、一人で遊ぶことも苦にならなかった。

転勤族の父に伴いって全国を転々としてた小学校時代。両親は、2歳年上の兄と私を連れて、その土地の名所旧跡や実に多くの神社仏閣等へ連れて行ってくれた。正直なところ、子どもだった私は、名所旧跡はただ退屈なだけだったし、歴史的な建立物や国宝の仏像など、全く興味は無かった。しかし、ぞの大自然から発せられる息吹や神社の凛とした気配、そして仏閣の清々しい空気はどういうわけか快いと感じていた。

そう、私は目に見えない「なにか」の感覚がとても好きな子どもだったのだ。
 
未だそれが夢だったのか真実なのかわからない。

幼稚園の頃、兄とかくれんぼをしていた時だ。普段、開けたことも無い父親の洋服箪笥の中にどうしても入りたくなった。扉を閉めるとただの暗闇だった。しかし、目が慣れてくると小さな鍵穴からかすかに光りがもれて、中の様子がわかるようになった。箪笥の奥に鏡が付いている。

退屈だった私は、自分が映っている姿を覗き込んだ。そして、手をかざした時…。

どうしたことだろう!

何かの拍子に体が鏡の中に入ってしまったのだ。鏡の中の世界がどんなものだったか、今となっては思い出せない。ただ、ここは全く別の世界であることだけは認識できた。鏡の世界から、はるか先に箪笥の鍵穴の光りが差し込んでいる。私は半ばパニックに陥りながら恐怖で凍りそうになった時、また、何かの拍子で体が鏡を通りぬけて戻ることができた。私は転がるように飛び出した。以後、その箪笥は恐ろしくて近寄れなくなくなってしまった。

私が中学生になった頃だったと思う。
何度目かの父の転勤で、とうとうその箪笥を処分することが決まった。高鳴る胸を押さえて、そっと箪笥を開いてみると、そこには予想外に狭い空間と、古ぼけた鏡があるだけだった。その時、やっとこれで箪笥が私の側からなくなるという安堵と共に、もうあの世界に通じる路は無くなってしまったのだという、一抹の寂しさのようなものが込み上げてきた。

 つづく…