『たまたま (9)』

「神話を語り継ぐ人々」の東京公演が終わった翌々日、私とレラさんは、広島に向かった。

20世紀最後の満月となる日「ひろしま2001」という催しに、私は童話詩人として招かれていた。
本来は、一人で広島へ向うはずだった。が、私はどうしてもレラさんを広島まで連れていかなければならない事情ができてしまったのだ。

数年前、レラさんのお宅に初めて行った時のこと。
何かの拍子から、レラさんがある人物写真を私に見せながら「アヤちゃん、ヨークこの人の顔を覚えておいて。この人はトムさんといって、私にとってとても大切な人なの。きっと、アヤちゃんは私より先に、このトムさんと会うから、その時には『アシリ・レラが愛している』って必ず伝えておいてね」と念を押された。
後で知ったのだが、トムさんは、アメリカ政府に弾圧されている先住民問題を打破しようと、自決覚悟で武力を持って立ち上がろうとしたことがあったという。
ところが、その直前、レラさんと偶然出会い、武力では決して解決できないこと、許すことを学び、以後生き方が大きく変わったという。

2000年7月7日。
あるイベントで東京外国語大学名誉教授である奈良毅先生と出会った。
20世紀最後の満月の日、広島で平和の祈りの集いをすることと、その日に向けて10月に東京を出発し、12月広島に着くまでの2ヶ月間、ピースウォークをするので、参加してほしいということだった。

10月に入って奈良先生からメールが届いた。
ピースウォークに参加してくれると名乗りをあげてくれている人が、今のところ10人くらいしかいない。都合がつけば東京出発の日、一日だけでいいから参加してもらえないか?という内容だった。
たまたまその日は、何の予定も入っていなかったので、一緒に歩くことにした。

10月13日、ピースウォークの出発地、日本橋の上に行くと10人どころか人で溢れかえっていた。およそ300人はいただろうか。先生に聞くと、ピースウォークをするのなら一緒に手伝うというグループと出会い、あっという間に広がったのだという。
その「手伝う」というグループの中に、過去いくつかの平和イベントで出会った友人たちの顔が見えた。
しかし、大勢のピースウォーカーたちに圧倒され、一人参加で気後れした私は、最後尾についた。

「では、アメリカ先住民のリーダーの一人であり、東京から広島までピースウォークをする中心人物、トム・ダストさんより、清めの儀式をしてもらいます」
その儀式を見ようと、後ろから身を乗り出した時、私は息を呑んだ。

数年前、レラさんのお宅で写真を見たトムさんだ!

一通りの儀式が終わったところで私は前に進み出て、前列にいた友人のハルさんに通訳をお願いし、レラさんからの言葉を必死で伝えた。
トムさんは、驚いたように私を見つめ、そしてゆっくりとした口調で「『僕もレラを愛している』と必ず今晩伝えてくれ」と今度は逆の伝言を預かった。そして、トムさんはどうしてもレラさんと広島で会いたいと言う。

その日の夜、私はレラさんに電話をして、トムさんと出会ったことや預かった伝言をちゃんと言ったことを報告し、改めてトムさんからの言葉を伝えた。
「アヤちゃん、私、広島に行けるかなぁ…」
その声を聞いた時、私はレラさんを広島まで連れて行こうと決めた。お金は天下のまわりもの。私がいつもお金が無いのは、こんなことばかりしているからなのだろうが…。年越し用にと思っていたお金で、レラさんを広島まで招待することにした。

広島に着いた日、レラさんと私は真っ先に原爆資料館に行った。中に入ると、目を覆いたくなるような悲惨な爪あとが、夥しい数展示してある。私は吐き気がした。
「アヤちゃん、どんなに気持ち悪くなっても、現実を見なきゃダメだよ」隣で私同様、胸が悪くなっている様子のレラさんがいう。
原爆被害の実態を、今更ながらこの歳で見た。
人間が人間をいとも簡単に殺してしまう事実。人間とは何と悲しい動物なのだろう。心底そう思った。そして、二度とこのようなことが起こらない世の中にしていく為には、自分は何をしたらいいのだろう。

安直に答えが見つかりそうもないことを、痺れる頭でずっと考えていた。

翌朝、レラさんは少し休みたいというので、私は急に厳島神社の奥の院が祀られている弥山に行ってみたくなり、登ることにした。ここの山頂には、凄い数の巨石があるという。
リフトの上り口まで行くと、「本日運転休止」の札がかかっていた。
私はためらうことなく、自力で山頂を目指すことにした。

歩き疲れ、山道の石に腰掛けていると携帯電話が鳴った。古事記の研究家、宮崎みどりさんだった。彼女に弥山登拝の途中であることを伝えると、それなら空海さんが種火を残したという庵で今も白湯が飲めるから行ったらいいという。不思議なことに、その場はすぐ傍にあった。私は歩き疲れた足を休め、その庵に腰を降ろした。まるで空海さんに白湯を一服いただいているような気分になる。ありがたいことだ。再び英気を取り戻し、元気になったので疲れることもなく山頂に着いた。

そこは、まるで別世界だった。
巨石は、聳え立つように宙に向かって立っていた。リフトが止まっていたことが幸いして、山頂には誰一人としていない。かつて、ここは異次元と繋がっていたのだろうか。そんな根拠もない空想がひろがる。

私は、そこにある巨石たちに想いを馳せた。
太古から、きっとここは信仰の対象であったはずだ。空海も神々しいこの場で祈ったのだろうし、多くの聖者たちが、この山で様々なことを感じたに違いない。その都度、物言わぬ巨石たちは、その祈りにこたえたのかもしれない。そして、人間が人間を殺すために開発された原爆で、眼下に広がるキノコ雲も、舐めるように焼きつくされていく広島の町並みも、逃げ戸惑う人々の姿もこの山頂から静かに見てきたのだろう。

私はただただ祈るばかりだった。

夕方、親友のサッちゃん一家も神戸からやって来たので、皆で広島平和記念公園に向かった。サッちゃん一家は在日コリアンなので、平和記念公園の中にある、韓国朝鮮人慰霊碑にどうしてもお参りしたいという。
慰霊碑に向かう途中、サッちゃんのご主人がポツリといった。
「この公園の慰霊碑の中に、僕らの民族の慰霊碑は入れてもらえなかったんや」
韓国朝鮮人の慰霊碑は、ほんの数年前まで、平和記念公園の外に出されていたという事実を知ったのは、この時が初めてだった。
「平和記念公園だというのに、ついこの前まで差別をしていた事実とは、なんと悲しいことだ」そう思うと、慰霊碑の前で涙が止まらなかった。

イベント会場に着いた時、正面にトムさんが立っていた。
トムさんは、レラさんの姿を見つけると、真っ直ぐ歩み寄ってきた。
そしてレラさんを強く長くずっと抱きしめていた。


この日の夜、私は幾重にも溢れ出る想いを胸に、舞台の上で童話詩を静かに語った。


つづく…