『たまたま (8)』

イベント当日は、気持ちよく晴れ上がっていた。

前日から仕込んでいた舞台は、すっかり出来上がっていた。
神宮の森の中にある倒木と、スタッフ全員で集めた枯葉。それらを敷き詰めて完成した舞台の森は、静かに神話が語られることを待っていた。

スタッフは気がつけば、いつしか総勢70名を越えていた。
準備期間が極端に短い中、ミーティングを連日重ね、それぞれが出来る範囲で
一生懸命頑張り、2万枚刷ったチラシもほとんど配りきった。

驚くことに、最後まで執拗な嫌がらせをする人もいることはいたが、そんなことを跳ね返すように、素晴らしい多くの人々の協力を得て、無事当日を迎えることが出来た。
準備した1800枚ものチケットは、1ヶ月間でほぼ完売状態になった。

午前9時。陽の光を浴びながら、明治神宮の玉砂利を踏みしめて神殿へと進む。
明治神宮での正式参拝だ。出演者と数名の関係者が玉串に臨んだのだが、レラさんは、神社での正式参拝だけは遠慮させて欲しいということだった。
「あやちゃん、代わりに私の分も一緒にあげて来て」と囁いたレラさんのマタンプシを手渡された私は、それをポケットの中に忍ばせて、神殿に立った。
順番に玉串を捧げ、自分の順番を終えた後、神社の方にお願いして、改めてレラさん分の玉串を捧げた。もちろん…マタンプシを巻いて。

いよいよ、当日の打ち合わせという段になり、またしてもハプニングが起こった。
イベント全体の流れをタイムテーブル(進行表)に沿って説明し始めた時、クリンギットの人々は困惑顔になってしまったのだ。彼らには時間枠の中で段取りを組むということが、苦痛というより、出来ないということがわかった。

前日の顔合わせの時に、ザックリとでも全体の流れを伝えておけばよかったと思ったのだが、前日は前日でそれどころではなかったので、仕方がない。
「時間の流れは神様が決めること」という彼等の主張は理解できる。
しかし、現実的に音響さんや照明さんなど、舞台の裏方はある程度、進行が事前に見えていないと不安になるのも事実だ。
その後、リハーサルに臨んだのだが「事前に決めていても変わるから」とあっさり終えられてしまった。

私は覚悟を決めた。

「全てお任せしよう。彼らに、そして天に」

まず、熊族の踊りからはじまり、クリンギット族にまつわる神話や歌が披露された。
そしてレラさんの登場となり、カムイユーカラ(アイヌに伝わる叙事詩・神揺集)が語られる…はずだった。しかし、レラさんは民族の侵略された悲しい歴史を、語り始めた。

明治神宮で、である。
その語りは、天をも揺るがすような大迫力だった。

会場のどこからか「ごめんなさーい」という声が響く。侵略の歴史の上に、今の日本人があることを知った誰かの魂が叫んだのだろう。
クリンギット族の彼等にしても、他の先住民族にしても世界中で同じ事が成されてきたのだ。レラさんは泣きながら「二度と人と人が殺し合い、奪い合う世の中にならないように」と締めくくり、語りを終えた。

『ウララスイエ』というアイヌ語の神々を迎える歌を、「星野道夫さんに捧ぐ」として歌い始めた。その歌声に合わせるように、クリンギットの人々が舞台袖から出て踊り始める。すると会場で座っていた人々が次々と壇上に上り、一緒になって踊り始めた。
舞台に上りきれない人々は、会場の通路で踊った。

誰も彼もが、心がひとつになった。

レラさんもエスター・シェイもボブ・サムも、みんな泣いた。

そしてこの日、ボブ・サムは最後にワタリガラスの神話を語った。

星野道夫に捧げた、いのちの灯の神話は、この日会場にいた全ての人々の魂を大きく揺さぶった。


つづく…