『たまたま (5)』

天河神社は、奈良県吉野郡天川村坪内という場所にある。

矛盾していると思いながらも、経済的に保証された社会で生きる道と、経済的には保証されないが、心の赴くまま自分に矛盾を感じずに生きる道。

私は、そのどちらかの道を選ぶ時を迎えていた。

1998年3月5日。その日のことを、私は生涯忘れることはないだろう。

前日、たまたま友人が「明日、天河神社に行くので、一緒に行こう」と誘ってくれた。
その時まで私は天河神社も天川村という場所があることも、全く知らなかった。
しかし、揺れる気持ちのまま仕事に行く気にもなれず、気分転換程度の軽い気持ちで誘いを受けることにした。

道中、私は後者の生き方を選んだ。
そして、副業でしていた脚本家の仕事を本業にしようと、ペンネームをつけることにした。たまたま「天川(てんかわ)」という場所に向っているのなら、天川 彩(てんかわ あや)」というペンネームにしちゃおうか…

それは、本当に気軽な気持ちだった。
ところが、天河に着いた途端、ただならぬものが始まり、気が付いた時には、宮司さんから正式に「天川 彩」という名前を付けて頂くことになる。

縁というものが、確実に繋がっているということを知ったのも、この後からだった。

半年後の98年10月、ボブ・サムは天河へやって来た。

その日は凄い台風の日だったが、どうしても私も天河へ行きたいと思っていた。大嵐の中を潜り抜けて天河に着き、車を降りた途端、目の前に宮司さんとボブ・サムが立っていた。鎌倉大仏以来の再会だ。

「彩さん、これから洞川へ行くところです。よければ一緒に行きませんか?」

宮司さんのお誘いで、ボブ家族に私の子ども達も混じり、宮司さんたちと共に、大峯山の麓まで出向いた。そして全員で静かにお祈りの時間を共有した。


この日の夜中、台風が猛威を奮う神殿で、ボブは神に向い神話を語った。


こんな経緯があったことを思い出した私は、目先で何かが止まっていても、ボブ・サム達との繋がりは、天河に行けば必ず動き始めると確信していたのかもしれない。

天河での講を終え、翌日には東京に戻ろうという日だった。
屋久島で出会い、引き続き天河での講に参加してくれていた、沖縄のある女性が私の手を取りながら「今、何か悩んでいるでしょう?」と突然言った。

私は適当な事務局の場所がいくら探しても決まらない話をすると、その女性は私の目を真っ直ぐ見て、こう言った。
「それは、見つからなくて当然です。あなたが今しようとしていることは、とても大切なことです。その為には、あなた自身の事務所でなければいけません。あなたは新たにオフィスを構えるのです。その事務所と出会う必要があったから、今まで適当な事務所が見つからなかったのです。お金は私が無期限無利子で私が貸します。そこは21世紀とても重要な事務所となることでしょう。いつか、必ず充分なお金がこの事務所には巡ってきます。その時にお金は返してください」。

翌日、私の銀行口座には、事務所を借りるに充分なお金が振り込まれていた。

そして、驚いたことに、今まで不動産情報として出ていなかった新しい物件が家から数分の所に出ていた。家賃も探していた金額通りだ。私は、迷いもなく自宅兼事務所だったオフィスTENの場所を、ここに移すことにした。

東京公演まで、ちょうど1ヶ月前。
ギリギリのところで、事務局の場所も電話番号も決まり、目まぐるしい日々が続いた。




つづく…