『たまたま (2)』

屋久島へ向かう飛行機の中、私はずっと考え事をしていた。
「私たちは、どこからやってきて、どこへ向かっているというのだろう…」

結局、私はランディやレラさんよりも、1日早く屋久島に着いた。 
リュックに詰めてきた星野道夫の『森と氷河と鯨』を屋久島の自然の中で、もう一度、ゆっくり読む時間はある。まずは腹ごしらえに、モッチョム岳の麓にあるパン屋『ペイタ』へ寄った。ここのパンは兎に角、美味しい。長年神戸に住んでいたので、結構パンの味にはうるさいつもりだが、この味をいつも食べることができる屋久島の人は幸せだ、とまで思ってしまう。

一息ついた頃、奥さんに自然の中でゆっくり本を読める場所がないか尋ねてみた。
すると、奥さんが、ご自身の取っておきの場所を教えてくれた。

ペイタから小一時間ほど歩くと、その場所はあった。まっ平で巨大な岩だ。
私は寝転んで『森と氷河と鯨』を読み返すことにした。

本は、美しいアラスカの写真と彼のエッセイで綴られている。自然と人をこよなく愛しながら、魂の根源を探す旅をしていた星野道夫。彼の息遣いが感じられそうな本の中で、私も共に遥かなる過去への記憶の旅をしているようだった。いつしか、私は本の世界と屋久島の森の風景が混合してゆき、一体何処にいるのかわからなくなっていた。

森の中に気配を感じて、私は本を閉じた。

その日、屋久島の友人、松本淳子ちゃんのお宅に泊めてもらった。屋久島に行きたかった理由のひとつに、淳子ちゃんともう一度会いたい、ということもあった。
ランディさんの紹介で出会い、その後、意気投合して、大の仲良しになった。
淳子ちゃんは、ご主人と共に20年以上前、屋久島へ移住。現在は、エコガイドの会社を経営しているご主人を支えながら、有線放送でアナウンサーをしたり、戯曲を書いたりと、自身の世界を大らかに展開している、素敵な女性だ。夜、松本家の食卓で、ご主人やお子さん達に囲まれながら、島の食材に舌鼓を打ち、人の温もりをしっかりと受け取っていた。

翌日、ランディさんやレラさん達とも合流。お気に入りの島の宿に泊まり、ゆるやかな良い一日を過ごしたのだが、私は、事務局を早急に立ち上げるため、次の日には東京へ戻らなければならなかった。

翌朝、5時に目が覚めた。外はまだ暗い。

急に『森と氷河と鯨』を読み終えていないことを思い出した私は、電気をつけて布団の中で続きを読み始めた。そして「エスターシェイの言葉」の章に差し掛かった時、心臓が激しく鳴った。
「やはり、どうしてもレラさんをエスターに会わせなければ…」

屋久島の空はゆっくりと、赤紫色に染まりながら、朝を迎えようとしていた。



つづく…