■『たまたま (11)』

南東アラスカには、通訳としてスタッフのキョウちゃんを連れて行くことにした。
彼女が私のもとに来てくれたのは2002年の秋。彼女は2000年のイベントには関わっておらず、
当然、ボブ・サムという人物も知らなかった。英語力だけでいえば、もっと堪能な人もいたかもしれないし、
彼の顔見知りの人物もいた。しかし、彼女ほど私がどんな思いで、オフィスTENを立上げ、
ここで何をしようとしているのかを理解している人物は他にいなかった。

 

私は、飛行機の中で、熊野本宮大社でいただいた、熊野牛王附(くまのごおうふ)を握り締めていた。
きっと、必要なことであれば、これが導いてくれるはずだと…。

それは、まるで神様の計らいごとのように事が運んだ。

「はるか遠い過去の世界で、人と人、人と大地とが様々な約束していたならば、
神話の世界のワタリガラスとヤタガラスも、共有する約束事があったのかもしれない」。

私の奥深いところで、なぜそんな根拠もないことをずっと言い続けているのか、
自分でもよくわからなかっただが、確かにずっとそう言っていた。

ボブを日本に迎えるのならば、ヤタガラス神事が古来より続いている熊野本宮大社の、
更に明治の頃まで元宮があった大斉原(おおゆのはら)で、かがり火を焚の中、
ワタリガラスの神話を、ボブに語ってもらわなければ…。

そう思っていた矢先ことだった。天河神社の節分祭の日、たまたま熊野本宮大社の
神官さんが知り合いと隣り合わせになり、様々な話の経緯から、熊野本宮大社の
宮司様と私を引き合わせてくださることになったのだ。数日後、一面識もなかった
熊野本宮の宮司様の前で、私は夢中で「大斉原でヤタガラスとワタリガラスの
魂の火の御神事を行わせていただきたい」とお願いしていた。

宮司様は、まっすぐ私の目を見て、「それが必要なことならいたしましょう」と快く嬢諾
してくださったのだ。熊野牛王附は、古来より大切な約束をする時に用いられた紙なのだが、
私は目に見えない大切な約束そのものを持って、飛行機に乗っているような気がしていた。

 

シアトルでアラスカ航空の小さな飛行機に乗り換え、南東アラスカの港町、シトカに着くと、
宿の主であるピートが迎えに来てくれていた。ピートは妻のバーサと共に、2000年の
イベントに出演者としても来日しており、シトカで小さなB&Bを経営していた。ピートたちは、
私がボブに会いに、シトカまで来ることは知っていたので、電話もないボブの家の前に、
幾度か手紙を貼り付けてくれていたらしい。

 

「何度か、ayaが来ることを伝えに家に行っているんだけど、まだ連絡つかなくて…」

宿に着いた途端、優しいバーサが、すまなそうに言った。

シトカに滞在する予定は4月1日と2日。3日の午後には、隣の島、ケチカンに行き、
ナイナの家で数日過ごす約束をしていた。しかし、私はその前に必ずボブと会えると確信していた。

キョウちゃんと二人で、夕方までシトカの町を散歩し、再び宿に戻った時だった。
大きな食卓テーブルに、ボブが皆に混じって座っていた。

それは、あっけないほど極普通の再会だった。

唯一、普通の再会と異なっていたことは、ベランダに大きなワタリガラスが飛んできて、
まるで、会話を聞いているかのように、ずっとその場にいたことだけだった。

翌朝、ボブが、島を案内してくれることになった。

古いトーテムポールのある公園やお墓など、ゆっくりと歩きながら、大切な文化を紹介して
くれたのだが、熊野での御神事の話をすると、ボブは聖なるワタリガラスの森に私たちを
連れて行ってくれることになった。その森は、木々に囲まれた広場のようになっている。
古くからの神聖な場所であることは容易に想像がついた。私たちが足を入れた時だった。
それまで何千羽と鳴き続けていたワタリガラスの声が一斉に止まった。私たちを見ていることは、直にわかった。

ややしばらくして、リーダーらしきワタリガラスが声を出すと、また先ほどのように
何千羽とも思える鳴き声が始まった。私は、ワタリガラスたちが受け入れてくれたのだと感じた。

その時、空から一枚の羽がハラハラと落ちてきた。

私たちは、同時に何かを感じていた。そしてボブがそれを拾うと「再び日本へ行って、
神話を熊野で語ろう」と私に手渡してくれた。その日の夜、ボブに熊野牛王附と熊野灘の
丸石を手渡して、六月の再会を誓い、ナイナの待つケチカンで数日間滞在した後、
私たちは大急ぎで日本に戻ってきた。



つづく…