『たまたま (1)』

たまたま、縁あって素敵な仲間たちと出会い、多くのことを学ばせてもらっている。

「たまたまって、偶然の様に聞こえるでしょ。でもね、実は魂と魂、霊と霊が呼び合う時にしか、このたまたまの出会いはないんだよ」と教えてくれたのは、世界中の聖なる石を撮っている写真家の須田郡司さんだ。
出会いのプロセスの中で魂が引合う瞬間、私はそこに時空を超えた何かの力を感じる。

そして、たまたま…今これを書いている。

20世紀の終わり、私は「神話を語り継ぐ人々」という催しの東京実行委員会代表となった。
これは、96年8月カムチャッカで熊に襲われ亡くなった写真家の故星野道夫氏と交流のあった南東アラスカ先住民族・クリンギット族の方々を招き、アイヌとの共通性を持つ彼等の神話を、北海道・熊野・東京で聴こうというプロジェクトの一つだった。

先住民族の多くは、それぞれ神話に基づいたクランと呼ばれる動物の名前がついた種族に分かれている。
映画「地球交響曲・第3番」にも出演し、日本へ何度か来たことがあるクリンギット族の
ボブ・サムは、ワタリガラス族に属している。

ボブから「星野道夫を同じクランとして迎え入れた、熊族の人々も日本へ連れて行きたい」と相談された赤阪氏が、このプロジェクトを企画した。特に今回は古老、エスター・シェイをアイヌの人々に会わせたいということから、始まったらしい。

エスターは、以前からクリンギット族とアイヌの関係に深く関心があり、自分たちの先祖は必ず繋がっていると思い続けてきた女性だ。彼女は、クリンギットの文化と歴史、そして、失われつつある民族の言葉を、次世代に伝えることが自分の役割だという。

この話を聞いた時、私はどうしてもエスター・シェイにアシリ・レラさんを紹介したいと思った。
しかし、北海道のスケジュールは既に全て決まっていた。阿寒のアイヌコタンで魂送りをするので、そこでアイヌの人々ともエスターは交流できるから、心配しなくてよいということだった。


アシリ・レラさんの和名は、山道康子さんという。アイヌの聖地、ニ風谷に生まれ育ったシャーマンだ。山道アイヌ語学校を主宰し、身よりの無い子どもは自分の戸籍に入れて総勢10人もの子どもを育てている肝っ玉母さんでもあり、環境問題や民族問題、平和運動などで国内は元より、海外でも活動している運動家でもある。98年、鎌倉で行われた『神戸からの祈り・東京おひらき祭り』でボブ・サムとも親交を深めている。

レラさんとは、たまたま行った屋久島で出会った。
縄文杉に会えた日、私に声をかけてきたのがレラさんだった。
「あんたも縄文杉に呼ばれて来たんだね」
どうして、私が縄文杉と会って来たのがわかったのだろう…

以後、レラさんとは、私が関わった平和イベントに参加してもらったり、二風谷のご自宅に泊めて頂いたりと、公私共に深い交流が続いている。

様々な思いが絡み合って紆余曲折していたという『神話を語り継ぐ人々』東京実行委員会の代表のお鉢が私にまわって来た時、迷わず断ろうと思っていた。まず、私はこのイベントの企画立案者ではない。そして、全く白紙からの依頼ではなく、様々な人が手を付けては引いた経緯があった上、開催日まで日も少ない。更に、最終的に黒字にならない限り、それまでにかかった労力代償は全く無いということも、当時母子家庭で、中学生の子どもを育てながら、一日一日をどうにか精一杯生きていた私には、リスクが高すぎた。

そんな矢先、ある人が言った。

「引き受けないことは、君の自由だ。ただ一つ言えることは、きっとアラスカの彼らは20世紀の終わり、日本へ来ることは出来なくなるだろうね。何故なら、今、この役割を引き受けられる人は、君しかいないのだから」

私は、悩んで悩んで悩んだ。

そして仕舞いには、吐いた。

しかし、やはりボブやクリンギット族の人々を悲しませたくない、という思いのほうが勝った。

意を決めた時、私はもう一度屋久島へ行くことにした。
行ってどうするとか、何があるとかではなかった。
ただ、屋久島の大自然の中で、揺るぎ無い自分という存在を確認したかった。そしてたまたま、その時期に田口ランディさんがアシリ・レラさんを屋久島へ連れて行くと聞いていたので、屋久島で皆と再会したいとも思った。

縁とは不思議なものだ。
たまたま、ある掲示板で知り合ったピアニストの方からメールが届いた。
「あなたの知り合いのアシリ・レラさんを僕のメルトモに紹介してもらえないですか?」
そのピアニストのメルトモがランディさんだった。

まだ、彼女が小説などを出す前だったので、存在を知ることも無かった。しかし送られてきた自己紹介を兼ねたメールに「屋久島」というキーワードを見つけた時、直感的に何かの繋がりがあることを感じた。

すぐさま私はレラさんに電話をかけた。
「どうやら、私たちに縁がありそうな人ですよ。来月、出来れば二風谷に行きたいと言っているのですが…そちらに行ってもらっていいですか?」

それから1年後、屋久島で三人揃って再会しようとは…