DVD「熊野大権現」撮影雑記


■「森羅万象への旅路」8

乗せてもらった軽トラックは、鶏糞の臭いが漂っていた。
作務衣姿で迎えに来てくれたタテイシさんが何者なにか、私にはさっぱ
りわからない。どうやら農業をしている人のようだが、向かう先は道場
だという。

小口自然の家からの移動時間は、わずか数分だったのだが、頭の中には
数多くの疑問が浮かんでいた。
「さぁ、着きましたよ」と、降ろされた場所は数人の男女がなにやら作
業をしているところだった。私たちがキョトンとしていると「まずはお
堂に」とズンズン進んで、真っ暗な建物に電気を入れた。

そこは、ログハウスのような、丸太で組まれた密教のお堂のようだった。
お堂の一番奥には、山岳宗教の祖である役行者の御姿があり、中央の礼
盤の上には様々な密教法具が並べられている。
タテイシさんは、吉野の金峯山寺で山伏修行をした後、熊野の地で新し
い宗派を開こうと、農業をしながらそこで修行をしているらしかった。
数時間、熱心にそのお話を語ってくれた後、最後に法螺貝を鳴らして
「少しでも力添えになれば…」と手印を組んでくださった。

なんとも不思議な夜だった。

翌朝、私達は小雲取り越えをする為、朝6には朝食を済ませて、早々に
小口自然の家を出発した。
この日もお天気に恵まれて、朝日がキラキラと眩しい。
しかし、前日の大雲取り越え登山での筋肉痛が既に出ている。
杖をつきながら、一歩一歩登るのだが、なかなか足が上がらない。
宿で一緒だったご夫妻から「最初の急な登り坂を頑張れば、後はピクニ
ック気分で歩けますよ」という言葉を信じて石段を登る。
横では、キョウちゃんが楽々と登っている。年令の差が歴然と出ている
ようだった。
もう、体力の限界…というところで、急に山道が平坦になった。
山を登りきったところからは、嘘のように楽だった。
朝日が差し込む山道は、清清しさで一杯で、ただただ心地よい。

この日は昼過ぎに、ケンちゃんが「請川」という場所まで迎えに来てく
れることになっていた。
熊野古道一の難所と言われている「大雲取り越え・小雲取り越え」は、
那智から本宮までの山越えルートを指す。
請川というのは、小雲取り越えで本宮側の国道に出た場所のことだ。
前日の朝、ケンちゃんが那智の青岸渡寺横まで見送ってくれたのが、
それも遠い昔のように感じる。
私達は、小雲取り越えの見所といわれている「賽の河原」も「百間ぐ
ら」も、足早に通り過ぎ、請川まで急いだ。
なぜ、こんなに急ぐかというと、この日は夕方から速玉大社の「御船
祭り」を見逃したくなかったからだ。下山が遅れたら、ケンちゃんだ
けが撮影の為に向かうことになっていた。

午後1時を過ぎた頃、私達は請川に出た。
難所中の難所と言われている山越えができたことで、気持ちが晴れ晴
れとしていた。

ケンちゃんと合流し、前もってケンちゃんが下調べをしておいた御船
祭りの撮影ポイントまで見に行く。
すると、祭りの3時間前だというのに、カメラを構えた人たちが数人、
既に岸壁に座っているのだ。
時間は、あり余るほどあったのだが、折角の祭りのシーンなので、最
高の位置から撮りたいと、腹を括り私達は岸壁に座った。

祭りの1時間ほど前から急に人が増えだし、祭りの時間には人だかり
の山となっていた。
私達は、最前列の中央近辺から、カメラを構えることができた。

御船祭りは、約千年続いている新宮のお祭りで、メインは御船島と呼
ばれる小さな島を、三周して地区の意地を争う船漕ぎ競争だ。
新宮の九つの地区に分かれた船には、それぞれ11人の若い衆が乗り
込み「ヤッサ・ヤッサ」と掛け声をかけながら島を周る。

私達のいた場所は、御船島から一番近い岸壁だったので、その勇まし
い掛け声や、船のぶつかり合う音が強烈に聞こえてくる。
更に、私たちのすぐ後ろには、地元を応援するおばちゃん軍団が陣取
って、大声援を送っている。
大興奮のうちに、祭りが終わった頃には、私達もすっかり地元の応援
団になったような気がした。

祭りが全て終わり、この日再び宿としてお世話になるパッチワークハ
ウスのブワさんに電話を入れると「今日は、天川さんのメルマガ読者
の人と、天川さんの知り合いの人が偶然にも来ているよ」という。

その知り合いが誰か、訊ねても教えてくれない。

誰だろう…。そう考えながら歩いていたから、足元を見ていなかった。

車に乗った途端、異臭がする。
「なんか臭いよね…」と私が言うと、ケンちゃんが「昨日ハーブの芳
香剤を百円ショップで買ったんですが、それですかね…」と言う。
「そうかもね。それにしてもその芳香剤、かなり臭いよ」などと失礼
なことを言っていたら、なんと異臭は私とキョウちゃんの足元から発
していることが判明した。
どうやら私とキョウちゃんは、岸壁から駐車場に向かう道の途中で
イヌの糞をふんずけてしまったらしい。

私達は、ケンちゃんに平謝りをして、その登山靴を脱ぎ、ビニール袋
に入れトランクに放り込みながら「運がツイタネ。ツイてる、ツイて
る」などと自分達を励ましていた。

夜、パッチワークハウスに着くと、そこには思いも寄らない人が待っ
ていた。

                     つづく…