DVD「熊野大権現」撮影雑記


■「森羅万象への旅路」6

熊野に行った折、かなりの頻度で宿泊させて頂いているのが、パッチワ
ークハウスという所だ。ここは、ブワさんという方が所有する不思議な
家。音楽家の長屋和哉さんに紹介していただき、ブワさんやこの家との
ご縁ができたのだが、流木に吊るされた無数のキャンドルを灯して語り
合ったり、屋根の上で満天の星空を見上げたりすることができる、心和
むありがたい場所で、ここにご縁をいただいたことに、心から感謝して
いる。

今回のスケジュールは、およそ2週間。前半のほとんどはロケハンで、
後半が撮影本番だ。
後半の撮影時は、朝一番の撮影に合わせて宿泊地を選んだのだが、前半
の1週間はこのパッチワークハウスを拠点にさせていただくことにした。

10月14日夜、12時間のロングドライブを終えて到着。
いつも通り、2階の左端の部屋に大きな荷物を置かせていただき、簡単
に挨拶を終えると、私とキョウちゃんは翌日からの荷物をつくり始めた。
翌15日から16日にかけて、私達は熊野古道中、最大の難所と言われ
ている「大雲取り越え・小雲取り越え」と呼ばれている山越えロケハン
なのだ。

ロケハンはロケーションハンティングといって、どの場所を使って映像
にするのか、前もって下調べをすることをいう。構成は私の大切な仕事
の一つなので、ロケハンはとても重要なのだ。
カメラマンのSさんが合流した時には、効率よく朝一番から撮影をして
いかなければならない。車で行ける場所も含め、前もって実際に現場へ
行かなければ決められない。
増してや、山越えをするような過酷な山道は、実際に歩かないと見えて
こない。
更にいうなら、これはDVDブックであり、映像だけではなく書籍にも
当然、歩いて集めた情報を書いていく予定だ。
この道は、大阪の天満橋から延々歩き、熊野の本宮大社にお参りし、そ
の後、熊野川を下って新宮の熊野速玉大社を参拝し、熊野那智大社に参
拝した後、那智から本宮に戻る山越えのルートとして、中世の頃から確
立されていた道である。

藤原定家の『熊野御幸記』にも、この場を越える話が登場する。
私は躊躇なく、この難所中の難所といわれている「大雲取り越え・小雲
取り越え」を絶対に歩こうと思った。

しかし「大雲取り越え・小雲取り越え」を現在行う人は、極端に少ない。
まず、第一に車道でいくらでも那智から本宮まで移動できるようになっ
たこと。また、古道歩きといっても、ピクニック気分では到底歩けない
こと。また、2日要する上に登山口と下山口が相当離れているので、誰
かの送迎サポートが無ければ遂行することは難しいこと。
今回、私はケンちゃんに送迎サポート役をお願いし、キョウちゃんに同
行をお願いした。

なぜ、同行が必要なのか…。
実は、この道は一人で歩いてはいけないらしい。
なぜなら、この道は、気をつけなければ「ダル」と呼ばれる餓鬼妖怪に
とり付かれ、行き倒れてしまうからだそうだ。
これは、険しい山道で餓死した無縁仏の魂魄が山中をうろつき、旅人に
とり憑くといわれ、粘菌学者の南方熊楠も、採取でこの山に入り、ダル
に憑かれて倒れたことがあったという。その後、熊楠は地元の人の助言
通り、必ずおにぎりとお新香を持って入山したと、資料には書いてあっ
た。
更にいうなら、この山越えの途中には、死者の霊が立ち寄るといわれて
いる妙法山・阿弥陀時にも続き、白装束に身を包んだ、亡き縁者が会い
にやって来るとも言われている。
「この山越えをする時には、魚類以外の握り飯を持ち少しでも小腹が空
いたら、それを口にするように」とか「塩も一緒に持ち歩くように」な
ど様々な情報を仕入れて、キョウちゃんと真剣にダル対策をした上で、
この難所越えをすることにした。

10月15日朝、空は快晴。
ケンちゃんに見送られ、私たちは那智山・青岸渡寺の裏側から続く、大
雲取り越え登山口に入った。数段石階段を登っただけで心臓が早鳴る。
そこには、鬱蒼とした薄暗い杉木立ちと、苔むしている石畳の階段が延
々と続いているように見えた。

                         つづく…