DVD「熊野大権現」撮影雑記


■「森羅万象への旅路」5

熊野から東京に舞い戻り仕事をこなした2日後、今度は早朝の新幹線の飛
び乗って大阪に向かった。

大阪・天満橋はかつての熊野詣での出発点。
熊野までの道中、各所に祀られていた九十九王子の一番が天満にある窪
津王子なのだ。
王子といっても、私達が通常知っている王子様ではない。王子とは、熊
野権現を祀る末社のことだ。
制作しているDVDでは、熊野の大自然と共に、中世の頃より江戸末期
まで盛んに行われ「蟻の熊野詣で」といわれていた、熊野古道もきちん
と紹介しようと思っている。

しかし、古道と言っても様々な道がある。
そこで私は、百人一首などでもよく知られている歌人、藤原定家が書き
残した日記「熊野御幸記」に記した足跡のルートを辿ってみることにし
た。大阪・天満橋から熊野本宮大社・速玉大社・そして那智大社へと向
かう道のりは長い。更に那智からの戻り道には、難所中の難所もある。
でも、折角古道を紹介するのなら、この道を紹介したい。

最初の撮影地、天満橋はオフィス街のど真ん中にある。ここから、かつ
ての熊野詣での姿を想像するのは、容易ではない。
しかし、確かにこの場から多くの祖先たちが歩み始めたのだと思うと、
不思議な気持ちになった。その後、場所を移動し少しカメラをまわして
この日の撮影は早めに済ませ、本宮大社で翌日行われる歌会撮影時用に
映像カメラマンSさんのジャケットやズボンを購入。
熊野の宿「とがの木茶屋」に着いた頃には、とっぷりと日が暮れていた。

「とがの木茶屋」は、熊野で三百年続いている茅葺の宿。
宿の名物大女将や女将の人柄に惹かれ、幾度と無く訪れているのだが、
この時は、働き者の女将トミさんが病に臥していたので、末娘のミサト
ちゃんが甲斐甲斐しく世話をしてくれる。

翌朝6時。
出版社社長のYさんが、都内で大型最新デジタルビデオカメラを調達し
て、やって来てくれた。
前夜から運転して、朝方熊野に到着したという。
Yさんはその4日前、三重県・尾鷲で記録的な豪雨に遭い、熊野を目の前
にして、辿り着けなかったのだ。
私は、Yさんの根性に心底感心し、改めて尊敬した。
午前中、予定していた撮影を済ませて、午後早めに本宮へ向かう。
数日前、宮司様に引き合わせる事ができなかったY社長を、この日改めて
紹介することができたので、私は内心ホッとした。

実はこの日、私は若干緊張していた。

皇族の方も参列される、一般非公開の歌会、熊野献詠歌・神前披講式に
参列させていただくことになったからだ。
八百年前、熊野御幸の折上皇が詠んだ御歌や全国から寄せられた献詠歌
を、藤原定家が読み上げた同じ神前で古式ゆかしく行われるのだ。
このような晴れやかな会に、参列させていただけるとは、数日前まで思
いもしていなかった。
映像のSさんも、出版社社長のYさんも、ビシッと決めている。私もス
ーツに着替えて時を待つ。
ケンちゃんは、この日東京まで運転しなければならないので、車で寝て
いることになり、ジーパンにパーカー姿のキョウちゃんは、歌会終了ま
で本宮の近辺を散策していることになった。

この日は、昼過ぎまで雨が降っていたので、外での歌会は当初懸念され
ていたのだが、開始2時間前晴れてきたので、予定通り神前でしめやかに
歌会が行われることになった。

時間になり、私は末席に座る。
白無垢姿の神官たちが円座を組み、歌を読み上げる。神殿の空に鳥が舞
い、厳かでありゆるやかな時が流れていく様を見ているうちに、私の意
識は過去にタイムスリップしていくようだった。
歌会終、私達はその余韻に浸ることなく車に乗り込んだ。
本宮が元々あった場所、大齋原(おおゆのはら)では、この日の夜、一
青窈のコンサートが世界遺産記念として行われていた。
もれ聞こえてくる音や美しい照明、多くの警備員や会場に流れていく人
の波を横目に見ながら、私達は長野経由で東京に大急ぎで戻らなければ
ならなかった。
翌々日から、Sさんが長期ロケに行くという。Sさんが住む八ヶ岳の麓
小淵沢まで送り届けなければならない。

熊野を出発してややしばらくは、ケンちゃんが運転していたのだが、途
中から長距離運転に慣れているSさんが運転を代わった。
Sさんは、野生サルの撮影で、何年間も東京から八戸まで一人で運転し
ていたという。
ぶっちぎりの速さで、なんとわずか6時間で小渕沢まで行ったのだ。
しかし、Sさんはケンちゃんの為にも、いつもは決して運転を代わらな
い。
私は、多分忍耐力を要するカメラマンとしての訓練をしているのではな
いかとと思っている。

小淵沢から再びケンちゃんがハンドルを握り直し、結局この日、私達は
東京に午前4時頃戻って来た。

ちなみに、Yさんもこの日の夜、熊野に泊まることなく、再び一人、東
京まで運転して戻って行った。
考えてみたら、Yさんはわずか4日間で東京・熊野間を車で2往復してい
た。やっぱり、とことん凄い人だ。

それから2週間後、私達は再び熊野に向かった。
Sさんは、福井から西表島へと撮影でまわり、合流は5日になっていた。

東京を出ておよそ12時間。私達は地元感覚にすらなっている熊野・新宮
へ到着した。
                          つづく…