DVD「熊野大権現」撮影雑記


■「森羅万象への旅路」4

本宮大社には、予想外にも1時間半前に着いた。
約束の9時までには、十分すぎるほどの時間があったので、出版社社長
のYさんも、少し送れてでも本宮へ来るだろうと高をくくっていた。
しかし、8時を過ぎた頃「尾鷲の至るところで道路が水没し、寸断され
ているらしくって、どうにもならないから、今は避難しているよ。そん
な訳で今日は残念ながら行けない。宮司様にくれぐれも宜しく伝えてお
いて」と社長から電話がかかる。
私たちも、丁度カーラジオのニュースで「尾鷲で1時間あたり観測至上
最高の降水量の雨が降っている」と聞いたばかりであった。

午前9時。
幾度も通いなれた本宮の階段を上る。
社務所に通されると、ややしばらくして宮司様がやって来られた。
私は、引き合わせる予定だった出版社社長が台風の影響で、来れない旨
を話し、映像カメラマンのSさんを宮司様に紹介した。
そして、今回の撮影に関するコンセプトなどを具体的に提案した。
本当に有難いことなのだが、宮司様とはそれまでも、幾度も大切な話を
してきたので、ある程度は信用を寄せてくださっている様子。

別れ際、宮司様から思わぬ提案をいただいた。
それは、4日後、大切な歌会の席を設けるので、よければ出席して撮影
しないか、というものだった。
私は二つ返事で受けたかったのだが、映像カメラマンのSさんが、即答
をなぜかを避けていた。
後でわかったのだが、Sさんはかつて皇室番組も数多く撮影された経験
があり、撮影で列席する場合にも、ジャケット着用はマナーとして必要
なことだという。
自然相手の撮影予定ばかりの中、当然シャケットなど持ち歩いているは
ずもない。
また、カメラの調子が不完全なのに、そのような大切なシーンをこのカ
メラで撮ってよいものなのか。そしてカメラの調子が戻ったにせよ、そ
のような場を撮らせていただけるのなら、もう少し大型のカメラの方が
失礼が無いのではないか、と考えていたらしい。
本宮への返答は翌日、ということになった。

私は、この日の夜、東京で講座があったので、どうしても東京に戻ら
なければならなかった。
また、その翌日には癌検診の結果を聞きに病院へ行かなければならな
かった。キョウちゃんとケンちゃん、そしてSさんには、私が留守し
ている2日間、ロケハンで巡りながら待機してもらう、ということに
した。

台風が、更に足早に近畿地方に近付いてきていたのだが、私はなぜか、
飛行機は飛ぶ!と確信を持って南紀白浜へ向かった。
途中、Yさんに連絡を入れると、気の毒にもまだ尾鷲に閉じ込められた
ままだった。しかし、もうじき通行止めが解除されるということだった
ので、少し安堵した。

私達は車中、やはりこの歌会は撮影しようということになった。
問題のジャケットは、街中の紳士服屋で後日購入することにしたのだが
大型カメラをどうするか、それが問題だった。
「東京に行けば、知り合いの映像屋さんから、すぐに借りることはでき
るだろうけれど、あまりに重いから天川さんが一人で運ぶのは無理があ
るし…」。

私は、瞬間的にYさんに再度電話していた。無理は承知の上で4日後、
再び熊野に来れないかと誘ったのだ。
結果はOKだった。都内でカメラを借りて、再び車で熊野まで来てくれる
というのだ。
まだ、東京へUターンすらできていないというのに…。
有難い限りだった。

そして、飛行機も風にあおられながらも有難いことに、どうにか羽田ま
で飛び立ってくれた。
                        つづく…