DVD「熊野大権現」撮影雑記


■「森羅万象への旅路」19

熊野の神の使いとされ、太陽の化身ともいわれている八咫烏(ヤタガラ
ス)。
「古事記」や「日本書紀」には、神武天皇東征の折、道案内をしたのが
八咫烏だとも記されている。
三本足のその大きなカラスは、現在、日本サッカー協会のシンボルマー
クともなっているので、私たちに馴染みが深くなった。

熊野三山といわれる本宮大社、速玉大社、那智大社ではそれぞれ烏文字
と呼ばれる独自の文字で書き表された「牛王符(ごおうふ)」がある。
これは、熊野誓書であり、同時に厄払いや神札として尊ばれてきたもの
で、古来より熊野詣に来た人々は、牛王符を拝受してきた。

この牛王符に一枚一枚捺印されているのが宝印だ。
1月7日、本宮大社で執り行われている八咫烏神事は、この宝印を自らの
手の平に広げた紙に授かるのもので、誰しもが神人合一の有難さを体感
することができるのだ。
この日、私たちも順番に宝印を手のひらで受け取り、厳粛な有難さを体
感することができた。

撮影終了後、那智の宿坊に移動して、早めに就寝した。

翌朝5時。

陽はまだ遠く真っ暗な中、宿坊から青岸渡寺に向う。
この日は、熊野修験の行の一つ、滝行の撮影だった。
既に青岸渡寺の奥では、無事を祈願しての護摩が焚かれている。熊野修
験復活の中心人物であり、青岸渡寺の副住職でもある、高木亮英さんは
集う人々、ひとり一人に丁寧に挨拶をされていた。

修験の人々が皆揃った頃、亮英さんを先頭に、全員ご本尊に手を合わせ
次に修験道の開祖、役行者の前で般若心経をあげてから、いよいよ出発
の時を迎えた。
修験の人々の邪魔にならないよう、最後尾について歩いたのだが、暗く
て足元が見えない。
はぐれない様に必死でついて行き、気が付くと大滝の前に着いた。
そこでは、修験の人々に向けて那智大社の神官さんが祝詞をあげて、無
事を祈願されていた。
そこから原始林の中に入り、いくつかの小さな滝の前で、法螺貝と祈り
が捧げられていく。
陽も明るくなった頃、陰陽の滝という美しい滝の前で、亮英さんが衣装
を脱ぎ始め、静かに滝壺の中へと進んでいった。

法螺貝が鳴り響く中、亮英さんは顔色一つ変えることなく、お経を読み
続けている。
その水が真冬の凍りつくような水温であることを全く感じさせない。

どのくらいの時間が経ったのかも、わからなかった。

気が付くと、亮英さんは滝壺からあがり、用意されていた焚き火で身体
の芯の部分を温め、次の滝へと向う準備をされていた。
これから2日間かけて、那智の四十八滝全てをまわるそうだ。

私たちは、山の奥へと入っていく熊野修験の人々を下から見送り、東京
へと向かった。

これで、残すご神事は神倉神社の御燈祭りのみとなり、撮影はいよいよ
佳境を迎えようとしていた。
                         つづく…