DVD「熊野大権現」撮影雑記


■「森羅万象への旅路」17

わずか3週間、熊野から離れていただけなのに、辺りはすっかり秋にな
っていた。
大自然に囲まれていると、季節の移り変わりが目に見える。
11月の熊野滞在期間は、およそ1週間。この時の目的は、撮影の合間
に人としっかり出会い、交流を深めることだった。

何事も、人とより良い人間関係を築けなければ、スムーズに事は運ばな
い。不可能に近いことを可能にしようとする為には、様々な人の力を借
りないと前には進めないのだ。

私は、かつて熊野三山詣の一つだった川の路を通ってみたいと思ってい
たが、資料などを読んでみても、現在舟が出ているとは何処にも載って
いない。
でも、私は何処かに必ず舟を出してくれる人がいる、と妙に確信してい
た。9月のある日、写真家のクスモトさんに話してみると、いとも簡単
に舟を持っている方がいるから、ということで紹介してもらうことにな
った。その方の名前はショウジさん。ご先祖様もその昔、熊野川で参拝
者に向けて舟を出していたという。
ショウジさんとの話し合いの末、11月にまずはロケハン、そして年明
けの1月に本撮影ということが決まった。

約束のロケハン当日は快晴だった。
熊野川の風が頬を伝って気持ちいい。
ロケハンを済ませて、ショウジさんの御宅に招待された。
実は、このショウジさんのお宅は代々、熊野修験の方々と深い関わりが
あったという。熊野修験といっても、三山それぞれに行場が違っていた
そうだが、かつて神倉山を行場とした修験の人々は、このショウジさん
のお宅にある聖石の前で得度を受けたそうだ。
ひとしきり話をした後、ご自宅の横にある、お堂に案内される。
桧の香りが漂う、磨き込まれたお堂の中に、それは美しい薬師如来像が
あった。あまりの美しさに時が経つのを忘れるほどだった。

ショウジさんの話によると、お祖父様の代の時、火災で家宝の薬師如来
像が焼けてしまい、ほとんど原型を留めない御姿になってしまったそう
だ。子どもの頃からその話を聞き、その薬師如来様を見ては、いつか自
分の代になったら、お堂を建て直そうと決めていたという。
数年前、念願かなってお堂を建て、新たな薬師如来像を知り合いの仏師
に彫ってもらった折、お祖父様が心残りにされていた薬師如来仏を胎内
仏として入れてもらい、安置されたそうだ。
なんとも素敵なお話に、心が温かくなった。
私たちは、心ゆくまでそのお堂の中で過ごさせて頂いた。

この日の夕方、私たちは那智の宿坊に向かった。
夜、熊野修験のお話について、青岸渡寺の副住職様から伺うことになっ
ていたのだ。

                       つづく…