DVD「熊野大権現」撮影雑記


■「森羅万象への旅路」13

現在、日本の国土の中で森が占める割合は、67%あるという。
世界平均の25%と比べると、緑豊かな国といえるだろう。
しかし、その約半数の山々は植林の森林なのだ。実は日本では、国家事
業として明治の頃から約百年近く伐採と植林が繰り返されてきた。
特に戦後、住宅復興の為に多くの森から優良な木々が切り倒され、その
代わりに木材価値が高い杉や檜が一斉に植林されたらしい。

太古からの森を原始林と呼ぶのに対し、樹齢が揃った森を一斉林という
そうだが、この一斉林を育てるには、優秀な樹木を育てながら間伐や枝
打ちなどの手入れをこまめにしなければならない。
しかし、輸入木規制が緩和されてから、日本の林業自体がどんどん衰退
してしまい、一斉林への手間がかけられなくなってしまった。
その結果、間伐されないまま放置された多くの林は、それぞれ十分な根
を張る事も出来ないひ弱な木の集りとなり、更に重なる枝で覆われた暗
い森は、陽が射し込まない為に下草も生えない、保水力を持たない山々
となってしまったのだ。

余談になるが、現在これほどまでに、花粉症で苦しむ人が増えたのも、
戦後、国土の四分の一を杉や檜の一斉林にしてしまった要因があるよう
に思うのは私だけだろうか。

熊野古道というと「鬱蒼とした暗い杉林と苔むした石畳」というイメー
ジがまず浮かぶかもしれない。
しかし、実際のところ明治初頭までは、自然林の清清しい森の中を歩い
て熊野詣でをしていたそうだ。

明治時代に森林が伐採された背景には、明治39年、政府が発令した神社
合祀令というものと関連している。
神社合祀令とは、1町村1社を原則として、明治政府が記紀神話や延喜
式神名帳に明記されている神社以外を認めず、日本に古来から点在して
いた八百万の神々を祀る神社を排除することを目的としていた。

多くの神社には、原始林が広がる鎮守の森があり、そこには樹齢千年に
も至るようなご神木が存在していた。それらの樹木は高値で売れるとい
う利権と絡み合い、争うように神社が取り壊され、鎮守の森が崩壊して
しまったのだ。
なんと、日本各地で閉社に追いやられた神社の数は、合祀令発令からわ
ずか3年間で5万社もあったという。

熊野は古来より自然崇拝が根本にあり、そこから神道や仏教、修験道な
どに広がり混交して成り立った場でもあり、樹齢年数の多い巨木も多々
あったことから、他の場より合祀の対象となりやすかったのだろう。
この時代に、熊野の森は壊滅的な打撃を受けた。
そこに、真正面から立ち向かったのが世界的粘菌学者の南方熊楠だった。
熊楠は、自然と人間の共存を常に見つめ、エコロジー(生態学)という
言葉を日本に初めて持ち込んだ人物でもある。

破壊されようとする鎮守の森や倒されようとするご神木を守る為、熊楠は
中央政権へ猛烈に抗議し、時には投獄されたりもしながらも活動を続けた。
熊野の森は壊滅的な状態にあったのだが、彼の功績で辛うじて、若干の原
始林などが守られた。

その熊楠が、研究の為足繁く通った那智の原始林は、今も豊かな美しい
水を蓄えている。
那智大社のご神体として名高い「那智の滝」の源流も、この那智原始林
から懇々と湧き出ているのだ。

私達は、那智大社の朝日宮司より特別な許可をもらい、この尊い源流を
撮影させてもらうことにした。
撮影当日の朝、正式参拝でお祓いを受けた後、全員わらじを履いて那智の
滝源流へと向かった。

                 つづく…