DVD「熊野大権現」撮影雑記


■「森羅万象への旅路」12

熊野川に沿った町々では、寒暖差が出る春と秋の早朝、町並みがすっぽ
りと雲海におおわれる。
朝焼けに彩られた幻想的な風景は、まさにこの世でありながら、あの世
を垣間見ているかのようだ。
私はどうしても、雲海を撮影したいと思っていた。

熊野本宮撮影の為、宿坊に泊まったのだが、本宮撮影前にこの雲海を撮
りに行くことにして、翌朝4時半に起きた。
途中、何箇所か雲海に出くわしたが、私は高原神社に向かおうと決めて
いた。聞くところによると、高原という場は熊野の中でも有数の雲海発
生地域であるという。
前日、行きかたを聞くと「高原神社までの道は難しくないから」という
ことだったので、安易に行けるだろうとタカを括っていた。
しかし、そのタカ括りが大失敗を招くことになった。

私達は、教えてもらった通り、国道沿いを走り、大きなJRの看板を越
して赤い橋を左折し、道なりに進んで行った。
すると、山の手前に『熊野高原神社→』の目印が目に入った。
その先は、やけに険しい山道が続いている。しかし、多分これであって
いるのだろう、と無理やりに前進して行くと…
その道は険しいを通り越して、四駆の車でも走行不可能と思われる悪路
となり、巨大な溝にはまってしまった。私達の車は、二駆の普通乗用車。
これ以上の走行は不可能となってしまった。

私達は、皆で力を合わせてどうにか溝から車を救出。安全な場所まで車
をバックさせて停めた後、機材を担ぎ、高原まで登ってみることにした。
上までどうにか登ったぞ…と思った瞬間、私達の目の前を音も軽やかに
軽トラックが走り去っていった。
「…?」
多分、私達は本道の一本手前にあった崖道を車でよじ登っていたのだ。
手前の小さな看板に気を取られず、そのまま道なりに素直に進んでいっ
たのなら、きっと数分後には高原神社の前に出ただろうに、この場所で
1時間近くも立ち往生してしまった。
結局、高原神社に着いた頃には、すっかり雲海が無くなり晴れあがって
いた。
私達は気を取り直して、無人の小さな熊野高原神社にお参りし、丹念に
撮影した。

意気消沈で熊野本宮に戻ったのだが、時間がずれたことが幸いしたのか、
それとも熊野高原神社の神様の配慮があったのか、前日まで撮影許可が
下りなかった奥社殿の撮影許可が宮司様から下りていた。
この奥社殿は、民放はもとよりNHKや新聞社などにも、撮影許可は普
段出さない特別な場所だという。
撮影時間、5分間。固定位置からの撮影で、移動しながらは不可というこ
とだったが、普段直接拝むことができない奥社殿を撮影させてもらえた
ことは、有難い限りだった。

この日の午後、花の巌(はなのいわや)神社に向かう。
花の巌神社というのは、社の無い巨石だけが祀られた神社である。ここ
は、古事記にも登場する場所で、国産みの母神であるイザナミノミコト
が、カグツチノミコト(火の神)を産んだ折、ホトを焼かれて黄泉の国
に行った後、この花の巌に祀られたとされている。要するにイザナミノ
ミコトのお墓なのだ。なんとこの神社は、二千年もの間、地元の村人た
ちにより祀り守られている。
この巨石の前に立ちながら、古事記の時代と現在とが交差するような、
強烈なエネルギーに、私は軽い目眩がした。

私達は、更なる巨石の撮影をしようと、かつて熊野修験道場ともなって
いたという大丹倉(おおにくら)に向かった。
細い山道を走ること、およそ1時間。大丹倉の頂上に出た。
恐るおそる下を覗き込むと、断崖絶壁の中にも雄大な風景に吸い込まれ
そうになる。
映像カメラマンのサクマさんが、一番高い岩の上に立ちながら慎重にカ
メラを廻しだした。
流石は、世界各地の大自然を撮影している映像家だ。
その勇姿を見ながら、かつてサクマさんから聞いたエベレスト撮影の折
の話を思い出していた。

無事頂上からの撮影を終えて、清流沿いの国道まで降りてから、再び大
丹倉を見上げてみる。
高さ200m幅500mにも及ぶその巨石は、鉄分を多く含んでいる為
か夕日に赤々と映え、さながら大きな赤鬼のようだった。
                                
                      つづく…