DVD「熊野大権現」撮影雑記


■「森羅万象への旅路」1

私は決して強い人間ではない。
だから、時に悩み苦しみ、切なくもなる。

私が神仏や大自然と向き合いたくなるのは、こんなちっぽけな自分でも、
計り知れない無限大の包容力で、肯定してもらいたいからなのかもしれ
ない。

熊野という地に憧れを抱いたのは、いつの頃からだっただろう。
幾重にも重なる峰々。深く薄暗い森に続く石畳。写真の中で見た風景は、
遠い自分の記憶の回路と繋がっているような気がした。
最初に熊野の地へ向かったのは、2000年の春。
バスの中から、林に映える熊野本宮大社のヤタガラスの大旗が見えた時、
体中の血が逆流しているかと思うほど興奮した。

歴史背景と神仏の世界がどのように繋がっているのか、また古事記や日
本書紀の神話の解釈などは、感覚人間である私には難しすぎる。
しかし、緑の風が谷を渡り、山河にけむる霧雲を見ていると、心は時空
を駆け巡り、はるか太古へと意識が走る。

今年に入って、様々なことから熊野に鎮まる神仏の距離感が一気に縮ま
った。
そして、それを物語るかのように熊野古道のDVDブック制作の話が舞
い込んできた。

身に余るほど、有難い話だ!と無邪気に喜び勇んでいたのは、最初だけ
だった。

資料を集め本を読み、幾度となく熊野の地に通っていくうちに、熊野三
山それぞれの役割の違いや、複雑に入り組んだ歴史背景、そして、何よ
り熊野巡礼という祈りの世界をどのように表せばいいのか、その難しさ
に戸惑ってしまった。
こんなに壮大で難しいテーマを、造詣浅い私が作り上げることなどでき
るのだろうか…。

しかし、既に船は大海原に向けて漕ぎ出したのだ。完成まで逃げるわけ
にも、降りるわけにもいかない。
私は、熊野の自然に宿る神仏や、いにしえ人との御霊と、真正面から向
き合う決心をした。

熊野の山々は険しい。このDVDブックを制作するのは、それと同じく
らい、いやそれ以上に険しい道を歩まなければならないかもしれない。
ある意味で、業をしているようなものだ。しかし、このような有難い仕
事をさせていただけることは、感謝以外の何ものでもない。

最初の業は、映像カメラマンを探すことだった。
カメラマンは数限りなくいる。
しかし、自然の中に現れる目に見えない神仏の姿を撮ることができる映
像家を探すことこそ、このDVDを作る上での絶対条件だと思った。
何人か、映像カメラの方との出会いはあったのだが、技術以前の、神々
と向き合う姿や些細な価値観の違いで、コレと思える人とはなかなか出
会えなかった。
今年の春、カメラマンアシスタントとして、私たちのもとにやって来て
くれたケンちゃんは、現代稀に見る好青年で、性格もスピリットも申し
分ないのだがなんといっても、技術がまだ伴わない。
8月下旬、出版社からの中間報告の日が近づき、だんだん焦ってきた。
志を持って、オフィスTENにやって来てくれたケンちゃんにも、先生
不在のままでは気の毒だ。

私は、思い悩んだ末、某大手TV番組制作会社で、長年演出をしていた
友人に相談した。
彼は、一番適したカメラマンや照明、機材に至るまで一流のスタッフを
揃えて、見栄えのする映像作品を制作しようと申し出てくれた。
カメラの技術も、業界のこともケンちゃんに教えてくれるという。

しかし、目に見える問題として、高額な制作費(ものによるが、一分、
一時間、一日単位で各種料金が設定されている)があった。
更に心のどこかで「妥協してはいけない」と叫んでいるような気もした。
この撮影には、大人数で構成されている撮影クルーは必要ない。大切な
世界を共有できる、腕を持った映像家が一人いればいい。

正直な気持ちを、演出家の友人に話した。
彼はとてもいい人なので、私の気持ちは理解してくれた。しかし心配の
あまり「天川さんが探しているようなフリーカメラマンで、プロとして
やっている人は僕の知る限りいないし、いたとしても万人に一人で、多
分探すのは無理だと思うよ」とも言った。

私は、へそ曲がりなので無理だと言われると俄然、力がわく。
「そうか。ならば、その万人に一人と出会おう!」と心に誓った。

インターネットを駆使して探しに探した。
どれほど時間を費やしたか覚えていないが、根性で探した。
そして遂にピン!とくる人物を見つけた。
その人は、NHKのネイチャー番組を中心に、各局の自然番組の映像や、
大学の自然環境研究機関の映像制作に携わっている方だった。
放送業界での栄誉あるギャラクシー賞も映像部門で受賞している凄腕だ。
しかし、私のハートを射止めた?のは、輝かしいプロフィールではなく、
自然体の笑顔とライフワークとして、自宅側の田んぼの観察、というと
ころに惹かれた。

私は、自分の思いを文章に込めて、見ず知らずのその人にメールを送っ
た。返事は「あまりに突然の依頼なので、正直なところ戸惑っています」
ということだった。
そのメールに、私はとても誠意を感じ、更に返事を書き送った。
そんなやり取りが続いた後、私の熱意に押されたのか?東京の事務所へ
やって来てくれて、気がついたら一緒に制作に加わってくれる約束が成
されていた。

後日、ケンちゃんにも紹介したら、目を丸くして興奮しているのが、手
に取るようにわかった。

水が流れるように、全てが動き始めていた。

                            つづく…