『神戸からの祈り (8)』

レラさんが屋久島にやって来て、数日後のことだった。

「世界中の先住民族達と屋久島で共同キャンプ」というふれ込みの催しは、結
局全てにおいて気配りの足りないお粗末なものだった。そして結末は、主催者
が途中放棄してしまうという、笑ってしまうほどあきれたものとなった。

どうやら失踪?前の日の夜、レラさんに一喝を入れられたらしい。
参加者の私たちが、いくら苦情を言っても、のらりくらりと交していた主催者
だったが、さすがに並外れたパワーのレラさんの言葉は効いたのか。
スタッフには「ちょっとだけ鹿児島へ行く」と言ったまま、結局、最終日にな
っても戻って来なかった。

レラさんとお別れの前日。
私は「神戸からの祈り」のことを話した。そして、もしよかったらアイヌ民族
として催しに参加してもらえないか聞いてみた。すると、いとも簡単に「いい
よ」と言う。そして「こんないい加減な主催はダメだって、ここで体験したん
だから、絶対に無責任なことはするなよ」と続けた。

2週間の屋久島滞在期間中に、多くの学びと素晴らしい出会いを得て、神戸に
戻った。

それから数日後、ポスター撮影の為、東京実行委員で写真家の須田郡司さんが
やって来た。
私たちは、被害が大きかった東灘を中心に歩き、御影という場所でビルの壁面
に書かれていた観音様の前で写真に撮っていた。すると、どこからかお婆さん
がすっと近寄ってきて「観音様だったらこの先に立派なのがあるよ」と言う。
私たちは、その言葉に導かれるようにして、その場所へ向かった。

そこは、真言宗の某寺。敷地の入り口には不思議なモニュメントや、お地蔵様
が沢山並んでいた。奥に行くと確かに大きく黄金に輝く立派な観音様があった。
私たちは合掌してから撮影を始めた。そして、ふと横を見ると、不思議な銀杏
の木がすくっと立っている。
半面は、震災で燃えたのだろうか、痛々しいまでに黒コゲの墨状態だ。しかし
、残りの半面は黄緑色の銀杏の新葉が、力の限り勢いよく茂っている。
私たちは、その木に吸い寄せられるようにして近寄り、横の観音様の時よりも
長い間、合掌した。

そこに、ちょうどお寺の奥様が外出先から戻られたので、私たちは詳しくこの
木の話を伺ってみた。

銀杏という木は、火事などが起り火が燃え移ると、木の中の水分がスプリンク
ラーのような状態になり、四方八方に水を撒くらしい。奥様はもともと、ここ
のお寺の娘さんだったそうで、子供の頃にもこのお寺は火事に遭ったらしい。
小学校から戻ってきたら、お寺が燃えていて、消防車が来ていたたそうだが、
その時、偶然この銀杏の木が水を飛び散らせていたのを実際に見たそうだ。

阪神大震災で、再度お寺に火の手がまわってきた時、ご本尊をどうにか持ち出
して家族全員避難することは出来たそうだが、戻って来た時には、お寺は全焼
していたらしい。しかし、銀杏の真下にあったお地蔵様用の小さな建物だけは、
全く無傷で焼け残っていたそうだ。

その後、どこから話を聞いてきたのか、このお寺に奉って欲しいと、震災で守
人がいなくなったお地蔵様が次々と運ばれてきたという。

私はその木が、神戸そのものに見えた。
突然の震災で傷つきながら、共に助け合い、祈り、瀕死の状態から希望を持っ
て再生する。

須田さんと私は、この木こそが、ポスター用の写真ではないかと思った。

しかし、後日のミーティングで、この木の写真を皆に見せたら一応に「怖い」
と言われてしまった。確かに、見ようによっては、グロテスクだったかもしれ
ない。結局この写真を使ってのポスター案は却下となってしまった。
しかし、その後、7月に行うプレイベントの日には、関係者一同で、このお寺
にお参りすることになった。

私はこのことで、森羅万象、皆祈りの存在なのだということを教えてもらった
ような気がした。

                      つづく…