『神戸からの祈り (4)』

震災直後から、神戸周辺では1年近く各所で、ボランティアの人々による炊き
出しや音楽イベントなどが連日繰り広げられていた。

私が住んでいた芦屋には、市民グランドに石原軍団が救援テントを張り、連日
炊き出しを行っていた。私や友人たちは、渡哲也さんなどが焼いてくれた魚を
お昼ごはんに食べたこともある。
ガス・水道・電気のライフラインが途絶えていた私たちにとって、各所で行わ
れていた炊き出しや、物資配給、自衛隊が小学校のグランドで毎日沸かしてく
れていたお風呂が、どれほどありがたかったことか。

また、被災者ご招待という類のコンサートや旅行なども多数企画され、私も子
供たちもいくつか参加させてもらった。
震災で住んでいたマンションは半壊。車も壊れ、家財道具一式もほとんど失っ
て生活は一変したが、その時に全国そして世界から寄せられた暖かい気持ちに
どれだけ励まされ、癒されたか計り知れない。

しかし、2年が過ぎ3年目を迎えても、私たちを被災者と呼び、同情的感覚で
接してくる人々も少なからずいた。そして、いつまで経っても震災がらみの
「何か」で外の人から与え続けられることにに少しずつ違和感を覚え始めてい
たのかもしれない。
手渡された紙に「阪神大震災鎮魂と世界平和の祈り」という文字を見つけた時
、正直な話、またか…という感情がまず起った。が、その趣意書を読んでどこ
か今までとは違うものを確かに感じた。

1998年3月3日。
その部屋には、30名以上の人々が集まり、膝を突き合わせて座っている。
それぞれの想いを熱く語りあう姿に、私は幕末から明治維新にかけて、同志た
ちが密談でもしているかのような錯覚を覚えた。
私の隣にたまたま座っていたのが、この会の呼びかけ人である鎌田東二さんだ
った。

そもそもこのお祭は、沖縄の音楽家・喜納昌吉さんと鎌田東二さんが電話で話
をしていて「神戸で震災の鎮魂と世界平和を祈る音楽祭をしよう」という会話
から始まったそうだ。しかし、縁がありそこに集まった人々皆が、同様の想い
を胸に持っていた。
だから、皆一様に真剣だったのだ。
その話し合いの中で、私と同じく芦屋在住の男性がいた。
音楽業界の仕事をしているらしいその男性に、事務局長を引き受けてもらおう、
というところまで話が進んだ時、休憩時間になった。

私はその男性に近寄り「私も同じ市内ですから、何かお手伝いできることがあ
れば、おっしゃってください」と言ってみた。
すると、その男性が小さな声で驚くようなことを言い始めた。

「あんた、そんな損なこと言わないほうがいいよ。だいたい、平和イベントの
事務局長なんて一円にもなりゃしないし、疲れるし責任あるし、ロクなことは
無いんだから。
俺は知り合いに話を聞いてきて欲しいと頼まれたから、とりあえず来ただけだ
から最初から事務局長なんて、引き受けるつもりもないよ。悪いこと言わない
から、君もあまり関わらないほうがいいよ」

私は信じられなかった。
損得で考えることができるような内容ではなかったからだ。
結局、その日は事務局長が決まらないまま終わったのだが、そこでなされた話
は、私の深い部分を強く刺激していた。

その日の夜、私は一睡もできなかった。

心が導く道で生きるべきか、それとも心が荒んでもお金が保障された道で生き
るべきなのか。

翌日、私は体調不良という理由で会社をズル休みしてしまった。
そして、1日中ずっとパジャマも着替えることなく、ずっと考えていた。
夕方、私を話し合いに誘ってくれた千賀子さんから電話がかかってきた。

「彩さん、明日一緒に天河へ行かない?」
「ダメだよ。今日、会社をズル休みしちゃったから明日は会社に行かなきゃ…
 やっぱり社会人だし、責任あるし、締め切りも近いし…」
「今、彩さんにとって、会社に行くより絶対に大切なことだと思うよ」
「第一、その天河って何?」
「奈良の吉野の山奥にあるところ」
「ならば、今じゃなくて桜の時期がいいよ。吉野山の桜見たいから、その時期
 に誘ってよ。明日は会社に行かなきゃマズイから」
「あのさ、風邪ひいて熱があったりしたら、熱が下がるまでは会社休むでしょ。
 今は、心が疲れているんだよ。気分転換でドライブに行くという感覚で、や
 っぱり一緒に行こうよ。実は何人か誘っていたんだけど、その中の一人が急
 に都合悪くなって、行けなくなって席がひとつ空いているの。ガソリン代や
 高速代、みんなで割り勘にしたいから、こっちも助かるしね」
「そうか、なら…明日も会社休んじゃおうかな」

と、いう訳で2日目も私は会社をズル休みをすることにした。


1998年3月5日。
外に出ると、朝日が眩しくらいに輝き、雲ひとつ無い空はどこまでも、青く広
がっていた。
私はこの日から、天川 彩になるなどとは全く思いもしていなかったのだが、
何かが始まる予感がして、その澄んだ空気を思い切り吸い込んでいた。

つづく…