『神戸からの祈り (3)』

「あの、まだチケットってありますか?」

その電話の主は、夜遅くまで孤独な準備作業をしている私の疲れを吹き飛ばす
ような、明るい声だった。
それもそのはず、その声の主は後から知ったことだが声楽家だったのだ。
チケットは3日前に完売していた。だが、その電話の直前にキャンセルの電話
が入っていた。本来なら何人かいたキャンセル待ちの人に、電話をしなければ
いけないところだったのだが、あまりのタイミングの良さと、その声が素敵だ
ったので、その声の主にチケットを渡すことにした。

上映会は、大盛況だった。
だが案の定、会社の同僚達は、そつ無くお仕事としてチケットのモギリなどは
こなすものの、映画そのものには興味がないらしい。
映画の上映が始まると、さっさと控え室でお菓子を食べ始めている。私は「や
はり…」という気持ちで落胆したが、満員御礼の会場を見て、やはり催してよ
かったという喜びが込み上げていた。

上映会の翌々日、会議が行われた。
そこで、突然上司は何を思ったのか、大入袋を全員に渡し始めた。
「お蔭で上映会は満員御礼、大成功でした。売上をみんなに還元しましょう」

私は我が目と耳を疑った。何故なら、この上映会を企画した段階から、利益が
出た場合は「緑の基金」に寄付しよう上司と話し合い、チラシにもチケットに
もそのように明記していたのだ。
思いも寄らない大入袋を片手に、同僚達は「ラッキー!これで今夜飲みに行こ
う」だの「エステの一回分だ」だのと喜んでいる。この光景に、私は呆然とし
てしまった。会議が終了した直後、私は上司をそっとお茶に誘い「緑の基金へ
の募金はどうなったのですか?」と質問してみた。
すると上司はニッコリ笑って「あのね、世の中うまくやっていくっていうこと
は、こういうことなの。みんなこれで喜んでいたでしょ」という返答だった。
私は愕然とした。

その日の夕方、会社に電話がかかってきた。その声には聞き覚えがある。上映
会前日に電話をかけてきた人だ。
「3ヶ月後、同じ映画の上映会をするので、チケットがどうしたら売れるのか
教えて欲しい」ということだったので、私は喜んで会うことにした。
その声の主は佐々木千賀子さんという声楽をしている人だった。

数日後、千賀子さんの家で一通り私が伝えられることは話した。そして私は次
のアポイントの時間が迫ってきて立ちあがった。その時だった。
急に何かを思い出したように「ちょっと待って。紙をコピーするから」と千賀
子さんは部屋の奥に入っていく。
5分過ぎ、10分過ぎても、彼女が出てくる気配が無い。時間が気になった私
は「また、今度その紙を頂きますから」と玄関に出ようとした。
すると、彼女は半ば強引に私を引き止めて「もう少しだけ、待って。もうすぐ
コピーし終わるから。あなたは、絶対これに関わる人だと思うから、あなたに
見せないといけないような気がするの」と熱く語っている。その勢いに押され
て、私は次ぎのアポ先に連絡を入れて、約束の時間を少しずらしてもらうこと
にした。

手渡された紙には「阪神大震災の鎮魂と世界平和を祈る祭り」という文字が書
かれていた。私は、わけがわからなかったが、何か惹かれるものがあり、とに
かくその集いに参加することにした。

まさか、その祭りが私の人生を大きく変えるものになろうとは、その時想像す
ることすらできなかった。

つづく…