『神戸からの祈り (17)』

この平和イベントは、いつしか協力者が協力者を繋げ、半年あまりの間に巨大
な集団へと膨れ上がっていった。

それは、個人のみならず企業も同様で、なんと会社ぐるみで協力を申し出てく
れる企業も多々あった。

移動に使うための大型バスは、某大手学習塾が全面協力をして運転手さん付き
で数台手配してくれた。
300人以上に膨れ上がったスタッフのTシャツは、震災後ボランティア団体
から会社として立ち上がったTシャツ屋さんが全て用意してくれたものだ。
また、神戸に本社がある大手惣菜会社が、コロッケ600個を提供してくれた
り、遠方からやって来る出演者の為にと、某航空会社の神戸支店長が会社にか
けあって、全ての航空券を用意してくれた。
他にも、数え上げればきりがないほどの協力を得て、当日を迎えることが出来
たのだ。

1998年8月8日、神戸からの祈り当日。

午前4時。

淡路島に集結していた私たちは「震源地鎮魂の祈り」の会場に向かうため、用
意してもらった大型バスに分乗して宿から出発した。

まだ、外は真っ暗だ。
宿から会場まで、ほぼ30分ほどの移動の間、誰も口を開こうとしない。
早朝だということよりも、これから始まる1日にそれぞれが想いを馳せているよ
うだった。

明石海峡大橋のたもとにある会場に着くと、既に情報を聞きつけた人が数百人
集まっていた。

皆、思い思いの場所に座りながら、その時を静かに待っている。

海の上が薄ぼんやり明るなり始めた頃、実行委員代表の鎌田東二氏による祈り
の言葉が捧げられた後、様々な人々の祈りが始まった。

これは、宗教、民族、国境などの境を全て取り払った、いのちへの祈り。

天河神社の宮司さんをはじめ、宗派を超えた僧侶の方々、イギリスの詩人の方
や、沖縄の喜納昌吉さん、アイヌのアシリ・レラさんなどと共に、そこに集う
全ての人々が鎮魂と平和を祈った。

やがて、真紅の太陽が水平線からゆっくり昇りはじめ、私たちは、皆、無言で
その光り輝く太陽に手を合わせた。

午前5時46分。
阪神淡路大震災が起ったその時間、全員が静かに黙祷を捧げた。

スタッフの一人がその2ヶ月前、インドのダラムサラを尋ねて、ダライ・ラマ法
王に「神戸からの祈り・震源地鎮魂の祈り」を伝えてくれていた。
また、出演者の友人が、ローマ法王とメール交換をしていると知り、ローマ法
王にも、この日のこの時間を伝えてもらっていた。
そして、この会場に集うことが出来ない人々にもこの日のこの時間を、皆で伝
えられる限り伝えていた。

1998年8月8日、午前5時46分。
静かに静かに皆が全ての「いのち」に祈りを捧げた。


つづく…