『神戸からの祈り (15)』

平和イベントというような、理解してもらいにくいことをし始めると、それま
で友人と思っていた人から距離を置かれてしまうことも多々あった。

そして、反対にそれまで知り合い程度だと思っていた人が、深い部分で共鳴し
全面的に応援してくれる人が増えてきて、友人関係が少しずつ変わっていった。

この年、私は小学校のPTA役員もしていた。
その役員仲間のお母さん達に話すと、思いがけず、皆共感してくれて、随分と
助けられたりもした。

あるお母さんが、某新聞社の神戸支局長を紹介してくれたお陰で、なんと社説
に「神戸からの祈り」を書いてもらうことができた。また、あるお母さんは、
元テレビ局のアナウンサーをしていた経験を生かし、ボランティアでイベント
の総合司会を引き受けてくれた。他にも目に見えない部分ではあるが、事務所
の電話番を交代で手伝ってくれたり、子供たちに夕飯を食べさせてくれるお母
さんもいた。

こんな私が事務局長ができたのも、実に多くの人の協力があったからこそなの
だ。

実は、札幌に住む母もそんな協力者の一人だった。
家のことをする時間が全くとれなくなり、母に初めてSOSを出した。
この頃の母は、平和イベントというものに対しても、スピリチュアルな世界に
対しても、とても否定的であった。しかし、私のことよりも、孫達が不憫に思
えたらしく、イベントまでヶ月を切った頃、札幌から飛行機に乗って手伝いに
来てくれたのだ。

私は、そんな母に、少しでもこの祭りを理解してもらいたかった。

プレイベントの一つとして、京都で大重監督の映画「光りの島」「風の島」の
上映会とシンポジウムが、陶芸家の近藤さんを中心に催された。
この日は、完全なお客状態でよかった私は、母を誘って参加し、ついでに京都
で宿をとった。

神戸と京都、それは泊まるほど距離が離れているわけではない。

しかし、仕事大好き人間の母と、早くして結婚してしまった娘。
考えてみたら、私は母と二人で旅行に行ったことがなかった。
だから、母と娘の旅行というものに、実は少し憧れていたのだ。

たった1日ではあったが、気分転換も兼ねてプレイベントの翌日、母と京都市
内観光をすることにした。

ホテルで遅めのモーニングを食べながら、向かう先を検討していた時、ふと、
鞍馬へ行ってみようということになった。
買い物をしたり、寄り道をしながら向かった為か、鞍馬に着いた頃には、午後
になっていた。

鞍馬山の入り口に、短いロープーウェイがある。
私と母は、とりあえず乗り場に行ってみたのだが、よく見るとたいした距離で
はない。やっぱり自分達の足で登ろうということにした、その時だった。

乗り場に響く、とっても聞き覚えのある声。

ん????

振り向くと、昨日、京都のプレイベントで一緒だった鳥飼さんと岡野さん、神
成さんが立っているではないか。なんと鳥飼さんたちも、ふと思い立って鞍馬
へ来ることにしたらしい。

鳥飼さんと岡野さんといえば、天河弥山登拝から淡路島のあの海岸での禊まで、
祈りの時を共にした仲だ。またしてもここで出会うとは…恐るべし霊場!

あまりの偶然に驚きながらも「そういうことなのね」と妙なわかったような、
わからないような納得をして、この霊山の山道も一緒に歩くことにした。
木の根が張って歩きにくい九折を登り、鞍馬寺で参拝。更に奥深く行くと、奥
の院の手前に、不動堂があった。私は、地から昇る様な不思議な空気を感じて
、不動堂の真正面にしばらく立ちつくしていた。と、その時、かつて天河神社
で見たような空気の渦が、不動堂の正面でまわっているのが見えた。
私は一心に手を合わせた。

「何なのかな?あそこで空気の渦が3つ回っているよ」と傍にいた岡野さんに
言うと「あー、彩ちゃんは不動明王系の人なのかもしれないね」という。

不動明王系の人…ね…。

私たちは、そこで般若心経をあげることにした。
ふと横を見ると、どこかの尼様も一緒に般若心経をあげている。私たちは、先
に奥の院へと進んだのだが、なんと、まだ不動堂でお経をあげていたはずの尼
様が、先にここでお経をあげているのだ。

えっ?ワープ?
理由はわからなかったが、なんとも不思議だった。

そこから、ややしばらく歩いた時、今度は母が大木の前に立ちすくしている。
「この木から何かが低い音が微かに聞こえる。もしかしたら木の声なのかも。
こんな場所に来たから私も不思議なものが聞こえるようになったのかしら」
と言う。

確かに、木に耳をつけると、低い音が聞こえる。

しかし、木の裏にまわって音の正体がわかった。大きな蜂の巣が裏側の木の上
にあったのだ。それを見て、みんなで大笑い。しかし母は真顔で「不思議な現
象を見つけたと思ったのに…」と本当にがっかりしている様子。

「目に見えないことなんて、くだらない」と普段バカにしていた母だったのだ
が、なーんだ内心は興味があったんじゃない、と私は密かに思った。

鞍馬山を一山越えると貴船に出る。

縁結びの神様、貴船神社のまわりの各旅館や料理店は、夏の間、川床の店を出
している。
私たち5人は、話に聞いたことがある川床料理というものを体験してみようと
いうことになった。しかし、行ってみるとほとんどが会席料理を出す店で、料
金も安くて5000円くらいからだった。
ふら〜っと立ち寄る料金ではない。

あきらめかけたその時、端っこで、釜飯屋が出している川床の店があった。あ
りがたい。
庶民感覚の料金で、私たちは川床の贅沢さを味わい、更に端の店という利点も
あって、川に足をつけることまでできたのだ。

貴船でゆっくりと過ごし、夕刻山を降りて下鴨神社へ向かった。
夕刻の下鴨神社はほとんど人影もなく、静かに空気が張り詰めていた。
私たちは、最後のお参りをして、それぞれの帰途へと向かった。

下鴨神社で別れたのは確か19時半頃だったと記憶しているのだが、
今になって思う。
岡野さんや鳥飼さんたちは、あの日ちゃんと東京まで戻れたのだろうか…。

つづく…