『神戸からの祈り (13)』

淡路島で祈りの場所を探しに行った日、夜遅くなってから沖縄から一人の男性
が尋ねて来た。
「神戸からの祈り」の呼びかけ人、喜納昌吉さん率いるチャンプルーズの一員
岩井さんだ。
若くて気さくな岩井さんは、すぐに私たちとうち解けて話が弾み、とても仲良
しになった。そんなこんなで、この日の夜も話が盛り上がり、結局ほとんど眠
らないまま、朝4時に祈りの場の確認の為、宿を出た。

外はまだ夜の気配が残っている。
私たちは、逸る気持ちを押さえて、前日行ったその場まで向かった。
巨大な明石海峡大橋を右手に見ながら、体育館と建設会社の間の道を抜けた先
に、コンクリーの広場と防波堤があり、そしてその先にはどこまでも暗い海が
広がっていた。

私たちは、誰ひとり口を開くことなく、コンクリーの防波堤に座りながら静か
に夜が明けるのを待った。空が明るみをおびてきた頃、等間隔にいく艘もの漁
船が連なって瀬戸内の海を東から西へ移動していく。最後の船が通り過ぎた頃
空も海も真紅に染まっていた。

そして…
朝凪の水平線が一瞬金色に輝き、光の先端が顔を出して、まるで私たちを照ら
すように、真正面から太陽が昇り始めた。
ゆっくり、ゆっくり。ゆっくり、ゆっくり。
やがて、昇り行く太陽の光りが目の前の海に反射して、真っ直ぐな黄金に輝く
道を作る。
それは、まるで目の前に天からゴールデンブリッジが架けられたかのようだっ
た。

私はあまりの美しさと、ありがたさから涙があふれ出た。
その朝陽は、私が今まで見た太陽の中で、一番美しいものだった。
どれくらいの時間、そこにいたのか記憶に無い。

勿論、全員この場が鎮魂と平和の祈りの場として最も相応しいと確信した。

すっかり朝を迎えた頃、私たちは宿に向かった。
宿は島の西側にあり、ここも海岸に面しているので、朝陽は望めないがセレモ
ニー前日の8月7日、夕陽が沈む頃、アイヌのアシリ・レラさんが子供たちと
共に、海岸で歌と踊りを披露する予定になっている。私たちはその視察を兼ね
て、宿に帰る前に、その海岸も急遽立ち寄ることにした。

先ほどの東海岸とは打ってかわって、そこは砂浜が広がっている。
心地良い緩和の中、頬を伝う潮風にまどろんでいた時のことだ。

「さぁ、それでは祈りの場所もめでたく決まったことなので、ここで禊(みそ
ぎ)をいたしましょう」
鎌田東二さんがそう言ったかと思うと、緑のリュックから白いフンドシを取り
出して、おもむろに洋服を脱ぎ始めたのだ。
「何故、リュックにフンドシが…?ギョッ。目の前でフンドシ巻いている…」
私はあまりのことに驚いて固まってしまった。
しかし、更に驚いたことに同行していた岡野さんと鳥飼さんは禊用の白作務衣
がカバンに入っていて、さっさと着替えている。後、私以外の2人は偶然白い
服だったので、そのまま禊をするという。私は…というと色物のTシャツにジ
ーパン。とても禊が出来るような服装ではない。昨夜から合流した岩井さんは
と見ると、防波堤の上で他人のふりをしている。

着替え終わった岡野さんが「白作務衣の上だけだったら、もう1枚持っている
から着替えたら?」といって、白作務衣の上を渡してくれた。

しかし、しかし…である。

私が躊躇していると「海に入ったら、わからないのだから」と誰かが言う。そ
して私の心も「皆が禊をするというのに、事務局長が禊をしないでどうするの」
と言う。

私は、思い切って船陰に隠れて着替えた。
でも、背が低い岡野さんの白作務衣は、丈がとても短かった…。
それは、超ミニというよりは、ワカメちゃんのスカート状態だったのだ。更に
着替え終わった後、気がついたのだが、船の後方では漁師さんが数人作業をし
ていた。私は諦めにも似た境地で、禊に合流。

この日、私は一生忘れられない感動と共に、一生忘れてしまいたい醜姿をさら
すことになった。

そして、岩井さんはよほど驚いたのだろう。この後ほとんど私たちと口を利く
こともなく、逃げるようにさっさと帰ってしまった。

結局、天河の弥山登拝から通算するとおよそ5日間。
ほとんど眠ることなく行動していた私たちは、かなりハイ状態になっていた。
特に岡野さんと鳥飼さんと私の3人はその症状が酷く、以後、淡路島に行くと
その空気に触れるだけでハイになってしまう「淡路島ハイ」という奇病を患う
ことになった。

つづく…