『雨弓のとき』 (68)                天川 彩



人がいない港というのは、これほど寂しいものだったとは…。
祥子は強風にバタバタとあおられながら、ここに来るまでに何処かで目
にした「最果ての地」という言葉が頭によぎった。確かに、目の前は、
荒涼とした風景が続くばかり。

荷物を吹き飛ばされないよう、祥子は両手で荷物を押さえながら辺りを
見回してみると、すぐそばにインフォメーションセンターが見える。
祥子は慌てて建物の中に飛び込んだ。カウンター越しに、中年の人なつ
っこそうな顔つきをしたおばさんが祥子をじっと見ていた。手招きをさ
れ、カウンターの前まで進んだ。が、何をどう聞けばいいのかわからな
かった。日本から、はるばるこの島まで向ってきた目的など、とうてい
伝えられたものではない。増して、ふさわしい場所など聞けるはずもな
く…。

おばさんは、宿を探しているのか、それとも観光地までの道を聞きたい
のかと祥子に質問してきたが、祥子は俯いたまま突っ立っていた。

しばらくして、おばさんは何を勘違いしたのか「ちょっと待ってね」と
言うと何処かに電話をかけていた。電話では、ゲール語というアイルラ
ンド地方の言葉を使っていた。ケルトの言葉があるというのは、資料に
書いてあったので知っている。しかし、実際にその言葉を耳にしたのは
初めてだった。

しばらくして、おばさんは、身振り手振りを交えて、この日、少し坂を
登ったところにある小さなホテルに宿泊できることを、かなりゆっくり
とした口調で教えてくれた。宿のオーナーはアジアに旅行したこともあ
るから、少しは言葉が通じるのではないかという。

どうやら、祥子のことを言葉が出来なくて宿に困っている東洋人観光客
だと思い込んでいるらしい。

祥子は、とりあえず、紹介された小さなホテルまで向うことにした。

簡単にメモ書きされた地図は、かなり解りにくかった。かなり迷った末
ようやく辿り着いた宿は、ホテルというより小さな民家の一室だった。
ただ、室内はかなりセンスは良く、通された部屋は清潔感溢れるものだ
った。

祥子は、荷物を置くいてベッドに横になってみた。体は沈み込むように
急に重くなり目を瞑った。目を開けて、時計を見てみると1時間以上も
過ぎていた。どうやら瞬間的に眠ってしまったらしい。

「どうしよう…」
ため息混じりに、一人ごとが口をついて出た。
祥子は何も考えがまとまらないまま、下の階に降りた。ソファーにお婆
さんが腰掛けながら、セーターを編んでいた。
生成り色の毛糸で模様を細かく編みこんでいる。まぎれもなく、それは
アランセーターだった。

お婆さんは、祥子の気配に気がつくと、手を止めてゆっくり振り向いた。
そして、セーターを指差しながら祥子に語りかけてくれたのだが、残念
ながらゲール語だったので全くわからなかった。

「これは、お爺さんの為に編んでいるのよ。お爺さん、漁師だから。
この島の女たちは、夫や息子の安全や健康を祈って、こうやってセータ
ーに祈りの文様を編み上げていくの。言っている事わかるかしら?」

キッチンの奥から、宿のオーナー夫人が出てきて、ゆっくりとした英語
で丁寧に説明してくれたので、祥子は大きく頷いた。婦人は話を続けた。

「文様は、家庭それぞれで少しずつ異なっていて、母親から娘に引き継
がれていくの。もちろん、私も編むんだけど、宿の仕事もあるし、やっ
ぱりお婆ちゃんにはかなわないのよ。お婆ちゃん、神様が文様を編ませ
てくれるって言っているのよ。こんな島では、家族が互いに助け合って
互いの命を守ることが一番大切だから」

祥子は言葉もなかった。

                        つづく…