『雨弓のとき』 (63) 天川 彩
ー目の前で、自分の母親と娘が楽しそうに遊んでいる。どうして私だけ
阻害されるの?どうして私だけ、こんなに不幸なの?ー
祥子は自分の中で、灰色の渦巻くものを感じていた。
「お母さん、もう何ともないし。悪いけど帰って!」
「えっ?」
「だから、帰ってよ」
「でも…。今日は仕事も休んだし。そうだ。何処か一緒に出かけない?
お天気もいいし」
「そんな気になれない。ちょっと疲れているし」
「そうだ。それならお母さん、真由ちゃんの面倒見るから、少しゆっく
り寝てたら?きっと子育てで疲れているのよ」
「大丈夫」
祥子は、そういうと真由子が広げていた積み木をさっさと片付け始めた。
真由子が「オカタジュケ?」と舌足らずの言葉で聞いてきた。
「そう。お片づけ。今日はおしまい」
「イヤ。モット、アソブ…」
祥子は無表情に真由子が手に持っていた積み木も取り上げると、それも
箱の中に納めて、クローゼットに全てを素早く仕舞い込んだ。
真由子は、一瞬キョトンとしていたが、大声で泣き出した。
「ちょっと、どうしたのよ祥子。今日のあなた変よ。良一さんと何かあ
ったの?それとも別の悩みがあるの?お母さんでよければ、相談に乗る
から」
敏子はそういいながら、泣いている真由子を抱き上げた。
祥子は、何も話したくなかった。いや、正直なところ自分の心の中の整
理がつかない状態だった。どうして、こんなにイライラするのか自分で
もわからない。でも、何もかもが鬱陶しく思えるのだ。
しかし、母親の敏子が、自分のことを気にかけてくれていることが少し
嬉しかった。
「ごめん。何でもない。でも、確かにちょっと疲れているのかも」
「本当?」
「うん…。やっぱり、今日は帰ってもらっていい?」
「勿論いいけど。本当に大丈夫なの?」
「何が?」
「いや、なんだか凄く変な様子だから」
「だから、大丈夫だって。…それより、せっかく会社休んで来てくれた
のに。ゴメンネ」
祥子が敏子の腕の中にいる真由子に両手を差し出すと、真由子はすぐに
祥子の腕の中に移った。
「やっぱり、子どもはママが一番好きなのよ」
敏子は目を細めて真由子の頭を撫でた。
玄関で靴を履いた敏子は
「それじゃ」と扉を開きかけた後、再び振り向いた。
「あのさ。何かあったら、遠慮しないで電話してきてね。何だか今日は
心配だし、家にいるから」
「心配って?」
「いや…。なんとなく」
「だから、大丈夫だって」
この時、まさか自分の不安が的中するとは、敏子自身予想もしていなか
った。
つづく…