『雨弓のとき』 (51)                天川 彩

再びベッドに入り少し眠ったのだが、頭がズキズキとして再び目が覚め
た。どうやら熱も出ているらしい。だるくて体が重い。
体を起こし、引きずるようにタンスの前まで行って、薬箱から体温計を
取り出した。そして脇に挟んで再びベッドに横になると、そのまま倒れ
こむようにまた眠ってしまった。

ー祥子、雪がキラキラ綺麗だろう。まるでホワイトクリスマスだね。祥
子や真由子と親子三人、こうして一緒にクリスマスを過ごせるなんて、
まるで夢のようだよ。あれ?寒いのかな?ガタガタ震えているよ。祥子
大丈夫?本当に寒くない?−

祥子は目が覚めた。ガタガタと震えがきている。脇に体温計を挟んでい
たことを思い出し、取り出してみると、39度5分を指していた。祥子は
ベッド脇においてある電話を握り、母の敏子にかけた。

「大丈夫?祥子?」
敏子がやってきたのは、電話をかけてから一時間ほど経ってからだった。
「ごめんね、お母さん。昨日も来てもらったのに…。仕事大丈夫?」
「とりあえず、抜け出してきたんだけど、酷いようなら、このまま休ま
せてもらうから、心配しなくて大丈夫。それより、とりあえず病院へ早
く行ってきなさい。真由子の面倒見ているから。駅前の薬局で、粉ミル
クと哺乳瓶も買ってきたし。祥子、粉ミルクは嫌だって意地張っていた
けれど、そんなこと言ってられないでしょ」
「…うん」
祥子は、ここ数ヶ月、育児雑誌を熟読し、完全母乳を実践しようとして
いたのだ。しかし、確かにそんなことを言っていられなくなった。


近所の内科医院の待合室は、人で溢れかえるほど込み合っていた。祥子
が呼ばれたのは、小一時間ほど経ってからだった。検査の結果、インフ
ルエンザにかかっていた。
「あの…先生。生後二ヶ月の赤ちゃんがいるんですけれど、六ヶ月まで
は免疫があるから、移らないですよね?」
祥子は育児雑誌で得た知識から、ほぼ確信を持って目の前の医師に確認
してみた。が、医師の返事は想像を反してのものだった。
「いや、インフルエンザはいくらお母さんの免疫があるといっても、か
かる可能性も無いとはいえませんよ。もし、可能ならば、治るまで出来
るだけ接しない方がいいかと思いますよ。それに、抗生物質も飲まなき
ゃならないですから、母乳もダメです」
「えっ?移る可能性あるんですか?」
「インフルエンザですからね。可能性はゼロとはいえませんから。まず
はお薬飲んで、水分も十分にとってきちんと直した方がいいですよ」
「あの、週末、北海道に行く予定なんですが…」
「これから数日は熱が続きますし、一週間は安静にしていないと、余病
を起こす可能性もありますから。可哀相ですけれど、週末の旅行は、諦
めなきゃいけませんね」

祥子は、ほとんど放心状態で家に戻った。
「どうだったの?」
母の敏子が真由子を抱きながら、心配そうな顔で玄関まで出てきた。
「インフルエンザなんだって。真由子にもうつる可能性があるんだっ
て」
「えっ?そうなの?」
「できるだけ離しておいた方がいいらしいし、母乳もダメなんだって。
北海道もダメだって」
「あら、そうなんだ」
「そうなんだって…。可哀相だと思ってくれないの?もうすぐ真由子
連れて、良一さんの所に行く予定だったのに。ねぇ、どうしてこんな
ことになちゃったんだろう」
「そりゃ、可哀相だけど、インフルエンザなんだから仕方がないじゃ
ない。今から祥子がしなきゃならないことは、一日も早く治すことな
んだからね。真由子のことだけど、一週間、越谷でみていようか?」
「でも、お母さん仕事は?」
「こんな緊急事態だし…今、それほど仕事忙しくないから、休暇もら
うから」
「でも…」
「でも、って言ったってしょうがないでしょ。こんなに小さな真由子
にもしもうつったら、本当に大変なことになってしまうのよ」
「…」
「とにかく、今はそれが一番なんだから」
祥子は、ありがたさと寂しさが交じり合った、複雑な心境だった。

                         つづく…