『雨弓のとき』 (49) 天川 彩
良一からは、毎晩必ず定期的に電話がかかってきていた。
祥子はその電話だけが楽しみだった。慣れない育児も離れている寂しさ
も、電話で良一と話せることだけを励みに、どうにか一日一日乗り越え
ているようなものだった。
冷蔵庫の横に張ってあるカレンダーには、クリスマスイブとクリスマス
の二日間、大きく赤い花丸がついていた。それは、良一が出張前に「こ
の時は、一緒に過ごそうね」と付けて行ったものだった。祥子は、日中
寂しくなるたびに、そのカレンダーを触っては、気持ちをどうにか鎮め
ていた。
クリスマスまで、後、一週間と迫ったある日。毎晩、ほぼ定時にかかっ
てきていた電話が鳴らなかった。祥子の方から何度電話をかけても「電
波が…」と無情なアナウンス声が流れるだけだ。祥子は妙な胸騒ぎが
した。ようやく良一の声が聞けたのは、夜中の二時過ぎになってからだ
った。
「ごめん。何度も電話かけてくれていたんだね」
「どうしたの?心配したんだから」
「ごめん…。いや、それが外注先が急にいろいろトラブル出してしまっ
て、その修正に走り回ったり、新たな提出書類を書いたりで、まだ今も
仕事中なんだ。気がついたらこんな時間になっていて。電話見たら着信
歴が何度も残っていたしさ。ビルの地下にずっといたから、気がつかな
くてごめんね。でもさ、無性に祥子の声が聞きたいと思って。もう寝て
いるかな、と思ったんだけど」
「ううん。心配だったから、ずっと起きていたのよ」
「悪かったね。真由子は?」
「さっき一度起きたけど、今は寝ているわよ。だけど、今日は大変だっ
たのね。お疲れ様」
「いや…。実は今日だけじゃなく、しばらく、こんな状態が続きそうな
んだ。で…クリスマスなんだけど、このままじゃ、新規開店に間に合い
そうにない感じになっちゃって。ちょっと来週、東京に帰るの無理みた
いなんだ。どうにかしようと頑張ってみたんだけどさ」
「…」
「そのかわり、正月には絶対休みとって帰るからさ。第一、正月は業者
も全て休みだし」
祥子は、頭が真っ白になった。二人が初めて結ばれたのは、一年前のク
リスマス。その日は二人にとって、大切な記念日でもあるのだ。祥子は
その日を迎える為に、着々と準備し、良一も、かなり前から航空券を用
意していたというのに。
「…」
「もしもし?」
「…」
「おい、祥子。聞えてる?」
「…」
「仕事なんだし、怒らないでわかってくれよ。どうにか出来ないかと、
頑張ってみたんだしさ」
「…。そうだ。なら、私が真由子と一緒に札幌に行く」
「でも、真由子まだ首も据わっていないんだろ。こっちは寒いしさ」
「大丈夫。絶対大丈夫だから、私、そっちに行く」
「でも、本当に大丈夫かな。真由子」
「大丈夫だって」
「そうか。それなら明日、直に航空券手配して、何処かホテルも取って
親子三人、この札幌でクルスマスを過ごすか。さすがに、このウィーク
リーマンションじゃ、祥子も真由子も寝かせる場所もないしさ」
「うん!」
祥子は、良一がいる札幌へ行けると思っただけで、舞い上がるような弾
む気持ちになっていた。
つづく…