『雨弓のとき』 (47)                天川 彩


真由子が生まれてから、生活は一変した。
生活のリズムも変化したが、祥子の母親、敏子との関係が大きく変化
した。
真由子と祥子が、産院から退院してきたその日から、二週間、敏子は
会社を休み、根津のマンションに寝泊りして、産後の世話を全て引き
受けてくれたのだ。

祥子は意外だった。
それまで仕事一筋だった母が、自分と孫の為に、これほどまでに時間
を割いてくれるとは、想像もしていなかった。

ある日、敏子が手際よく真由子を沐浴させていた時のこと。
「お母さんね、あなたを沐浴させるの大好きだったわ。お湯に入れて
あげると、気持ちいいって顔してね。可愛くって仕方がなかったわ。
あら、真由子ちゃんも、同じような顔している」と呟いた
祥子がベビーバスを覗き込んでみると、確かに小さな真由子は、いか
にも気持ちよさげな顔をしている。祥子は、母のこの言葉が何より嬉
しかった。
真由子と母の顔を見比べながら、祥子はこの二人の間に、自分という
存在が、確かに繋がって生きているのだと、改めて感じていた。


産後三週間目の床上げをした日、敏子は越谷に帰っていった。

真由子と良一との三人の生活が始まり、少しずつそんな生活にも慣れ
ていった頃だった。

「えっ?札幌に長期出張?って?」

遅めの夕食を一緒に食べていた時、良一が言いにくそうに、長期出張
の話を切り出した。祥子は想像もしていなかった話に、箸が止まった。
「いや、実は前から、札幌にうちの会社の直営店舗を出すことは決ま
っていたんだけど、当初の予定よりかなり大型店舗になってね。で、
オープン前後の三ヶ月、あっちに行くことになったんだよ」
「三ヶ月も?」
「いや、本当は半年って話だったんだけど、それじゃ、本社の仕事に
も支障が出るからって、三ヶ月に削ったぐらいでさ」
「その三ヶ月の間って、私も札幌に住むの?」
「ん?どうして?だって出張だよ」
「そんな…。私、こっちで一人ぼっちになるの?」
「一人じゃないだろ。真由子がいるんだから」
「だから、心配なのよ。真由子が熱出したり、何かあったら…」
「でもさ、仕事なんだよ。僕だって祥子ちゃんや真由子に会えないの
は辛いけど、二人を養うためにも、仕事頑張らなきゃいけないしさ」
「そう…だけど…」
「大丈夫だって。三ヶ月なんて直に過ぎるから」

祥子は急に不安になってきた。

                          つづく…