『雨弓のとき』 (45)                天川 彩


明日香を見送り、家に帰った後も、しばらく祥子は考え込んでいた。

「どうしたの?電気も付けないで」
突然、部屋の明かりがつき、良一の声が後ろからしたので、祥子は
驚いた。
「わっ、びっくりした。あれ今日は早いのね」
「嫌だな。今朝、言ったじゃない。今日は展示会だから、早く帰る
よって」
「あ、そうだった。良一さんの好きな煮込みハンバーグ、今夜は作
っておくって言っていたのに…ゴメン」
「そんなことはいいよ。でも、どうしたの?調子悪い?…まさか、
えっ?そうなの?生まれるの?」

良一は、そういうと慌てて椅子に座っている祥子の前まで駆け寄り
はち切れそうなお腹を、そっとさすった。
「違うって。予定日まで後一ヶ月以上あるんだから。今、陣痛がき
たら早すぎちゃうもん」
「そうか。なら安心した」
「うん」
「けど、どうしたの?今日、何かあった?」
「実はね、明日香が今日、久しぶりにうちに来たんだけど。明日香
の上のお姉さん、離婚することになったんだって」
「そう…か。まぁ、人にはそれぞれ、色々な事情があるからな」
「そりゃ、そうなんだけど。明日香は、お姉さん夫婦はずっと幸せ
に仲良く暮していると思っていたから、かなりショックらしくって」
「そうだろうね」
「そうだろうねって、随分簡単よね。明日香、珍しく泣いていたん
だから」
「そうか。ごめん。でもさ、人の家の事情はさ、さっきも言ったけ
れど、それぞれだから」
「原因は旦那さんの浮気なんだって」
「そうか」
「浮気」
そういうと、祥子は良一の顔をジロッと覗き込んだ。
「え?何?」
「どうして男の人って、浮気するのかなぁ。うちの父もそうだった
し。どうして一人の奥さんを大事にできないのかな。良一さんは、
浮気していない?」
「する訳ないでしょ。どうしちゃったんだよ。今日の祥子、変だぞ」
「ほら、奥さんの妊娠中とか、出産中とかに浮気する、とかってよ
く聞くじゃない。明日香のお兄さんだって、子供3人もいるのに、別
の人と長い間浮気していたらしいし」
「おい、祥子。大丈夫?」

良一は、祥子の背後に廻り、椅子越しに背中から抱きしめた。
「祥子、いい?ちゃんと聞いてね。さっきも言ったけれど、人はそ
れぞれなんだよ。そして、人には組み合わせや相性っていうものも
ある。組み合わせや相性が悪ければ、どんなに努力してもダメな場
合もあるよ。でもさ、組み合わや相性が良くたって、互いに互いの
ことを大事にする気持ちが薄れてしまったら、段々ダメになってい
んじゃないかな。僕はそう思うよ。ねぇ、祥子。僕たちは、組み合
わせや相性もいいだろう?」

祥子は黙ってコクンと頷いた。

「だったら、互いを大切にしていこうよ。お互いがそういう気持ち
でいる限り、男だって女だって、浮気なんてしないよ。一時の気ま
ぐれや勢いで、そんなことをして、世界で一番大切な人を失うよう
なこと、よほどのバカじゃない限りしないよ。そして、そんなこと
疑われることも悲しいよ」

再び、祥子は深く頷いた。

「さぁ、祥子。それじゃ、今夜は気分を変えて、久しぶりにデート
でもしようか。子供が生まれたら、当分二人でデートなんて、出来
ないだろうしね」

祥子は、良一と結婚して本当によかったと、しみじみ思った。

                        つづく…