『雨弓のとき』 (37) 天川 彩
「えーと、彼女の名前は高原祥子さん。まぁ、いろいろ伝えてあるから
詳しく言わなくてもわかっていると思うけれど…今度、彼女と結婚しよ
うと思っているんだ。…というか、結婚するよ。で、こっちにいるのが
僕の両親と妹の小百合」
「あ、あの。高原祥子です。はじめまして。えーっと、今は大学生なん
ですけれど、学校は…良一さんと話し合って、やめることにしました。
…で…」
「子どもは、今年の9月に生まれる予定なんだ」
「そうか」
良一の父親が、ぶっきらぼうに返答すると、するとすかさず横にいた母
親が口を挟んだ。
「最近じゃ、出来ちゃった結婚っていうの、多いしね。でも、その出来
ちゃったって、あんまり好きになれないのよね」
「え?ウソ!!お母さん、お兄ちゃんの結婚に反対なの?」
妹の小百合が驚いた顔をして母親の顔を見ながら、素っ頓狂な声をあげ
た。
「嫌ね。違うわよ。出来ちゃった、じゃ、お腹の赤ちゃん、なんだか望
まれていないみたいで可哀想じゃない。それなら堂々と、おめでた結婚
とかの方がいいなぁ、なんてね」
「そうだよね。おめでただし、おめでたいし。よかったね。お兄ちゃん。
あ、お婆ちゃんの目が覚めたみたい。今、連れてくるからね」
小百合は、そういうと嬉しそうに、部屋から出て行った。
祥子は、小百合の後姿を目で見送りながら、自分よりも3歳年上だと良一
から聞いている小百合が、続柄では妹になるということが、なんとも不
思議な気がしていた。そして、良一のことを『お兄ちゃん』と呼ぶ小百
合は、自分のことを『お姉ちゃん』と呼ぶのだろうか、などとどうでも
いい想像をしていた。
「祥子ちゃんのこと、良一からお正月に、話だけは聞いていたのよ」
「え?お正月にですか?」
「お正月帰ってきて、あんまり機嫌がよかったものだから。これは彼女
でもできたかな??って女の勘でね」
「うちの母さんは、勘がいい人なんだよ。」
それまでずっと黙っていた父親が、突然、口を開いたので、祥子は少し
驚いた。
「良一から、聞いているかしら。私とお父さんはお互いに再婚で、良一
は私の連れ子なんだけど、小百合はお父さんの連れ子で。今、小百合が
連れて来るお婆ちゃんは、お父さんの母親。我が家はそんな感じで、ま
るでパッチワークのような家庭なんだけど、でも皆仲良くってね」
「凄いですね。うちなんか…」
祥子が、自分の家族の愚痴を言おうと思った時、良一が口を挟んだ。
「あのさ、息子の俺がいうのもおかしいけれど、お袋が随分頑張ったと
ころあると思うんだよね」
「あら、良一。それは違うわよ。お父さんもお婆ちゃんも小百合も。勿
論良一も。みんな家族になろうって努力したからだと思うわよ」
「家族になる努力ですか?」
祥子にとって、想像もしていなかった言葉だった。家族は、結婚したら
自然と新しい家族になるものだと思っていた。家族になるのに、努力な
ど必要だという話など、今まで聞いたこともなかった。
「そうね。ちょっと表現が間違っていたかな。家族になる努力じゃない
か。仲の良い家族になる為には、それぞれの努力が必要ということかし
ら」
祥子は、ハッとした。確かに、自分の家族に置き換えてみると、自分は
両親の不仲ばかりを指摘し、母親や父親を責めてばかりいたが、自分自
身は努力などしてきただろうか。
「だから、うちの母さんは勘がいい人でね。誰かが、何か口に出せずに
心の中で思っていることがあると、スーッとうまく喋らせることができ
るんだよね。本当に凄い人なんだよ。私の奥さんは」
「嫌だ、お父さん。そんな照れてしまうじゃないですか」
「いやいや。祥子さんとは、嫁姑という関係になるんだから、母さんの
いいところ、まずは知っておいてもらった方がいいと思ってね」
祥子は、良一の素晴らしさは、この家族の中で培われてきたものなのだ、
と改めて感じていた。と、同時に自分のイジイジとした性格はこの家族
に嫌われてしまうのではないかと、急に不安になった。
と、そんな心の中を読み取るように、良一が言った。
「それじゃ、祥子ちゃんの良さも知っておいてもらわないと。祥子ちゃ
んは、料理上手で…そして、今時の女の子には珍しいほど、古い習慣と
かよく知っているんだ。そして、何より優しい女の子なんだ」
「それは、会った瞬間からわかっているわ。私は勘がいい人だから」
良一や良一の母の気持ちが、祥子は、言葉にならないほど嬉しかった。
つづく…