『雨弓のとき』 (32)
天川 彩
「どう?」
トイレのドア越しから明日香の声がする。
祥子は、声が出なかった。
明日香が薬局で買ってきてくれた、妊娠検査薬。こんな物があることす
ら祥子は、この日まで知らなかった。
しかし、今、目の前にある検査薬からはっきりと「陽性」反応の方に印
が出ている。それを目で追うのだが、祥子の頭の中はどんどん混乱して
いった。
「どうなの?結果出たの?それともまだなの?」
明日香がせかすように、トイレのドアを叩いた。
「ご、ごめん。よくわかんない…」
「トイレから出ておいでよ。私が見てあげるから」
祥子は黙ってトイレの扉をあけて、手に持っている検査薬を明日香に差
し出した。明日香は、細長い棒のような検査薬にしっかりとラインが出
ていることを見届けて、冷静にそれが「陽性」であることを理解した。
「祥子、病院行って確かめた方がいいよ」
「病院?そんなの嫌だ…」
「嫌だっていったって、行かなきゃはっきりとはわからないでしょ」
「…」
「良一さん、いつアイルランドから戻ってくるの?」
「今週の土曜日」
「そうか。それじゃ後3日だね」
「どうしよう」
「大丈夫だって。ちゃんと良一さん考えてくれる人でしょ」
良一の帰国日、祥子は成田まで迎えに行った。
「祥子ちゃん、迎えに来てくれたんだ。ありがとう!」
ゲートから大きな荷物を抱えながら出てきた良一は満面の笑みを浮かべ
て祥子に駆け寄ってきた。
しかし祥子は、良一の顔を見た途端、嬉しさと安堵と不安とで、涙が一
気に溢れ出した。
つづく…