『雨弓のとき』 (27) 天川 彩
「私に?お誕生日とかじゃないよ」
「わかっているよ。ただ、これは、絶対に君に似合うと思うんだ。それ
に、いつも、美味しい料理を作ってくれているお礼もしたいし」
「ありがとう」
良一の勤めているイニシュモアの製品は、祥子のアルバイト代で買える
ような代物ではない。イニシュモアの洒落た紙袋に洋服を入れてもらっ
ただけで、祥子は舞い上がるような気持ちになっていた。
「さぁ、これからどこへ行く?」
「表参道に新しくカフェができたみたいなんだけど、そこ行ってみたい
と思っていて…。そこでもいい?」
「どうぞ、どうぞ。お姫様」
洒落た白木のカフェで祥子は大好きなカフェオレを注文すると、袋から
嬉しそうに、先ほど良一の買ってもらったセーターを取り出してはニヤ
ニヤ眺めていた。良一はそんな祥子の顔を、微笑みながらただじっと見
つめていた。しばらくして、祥子は良一の視線に気付いた。
「何?さっきから私の顔ばっかり見て。何かついている?」
「うん、ついている」
「やだ、取って」
「目と、鼻と口を?」
「バッカみたい」
「そうか。バカみたいか…」
「さっきからどうしたの?」
「いやさぁ、俺この正月休みに考えていたんだけど」
「何?」
「あのさ、春になったら一緒にアイルランドに行ってみない?」
「え〜?アイルランド?」
「うちの会社名の『イニシュモア』ってアイルランドの島の名前だって
ことは前に話したと思うんだけど」
「うん」
「この正月休みに、アイルランドの本読んでいたら、無性に行きたくな
ってさ」
「でも、私お金ないよ。バイト代は生活費と学費で消えていくし」
「それはわかっているよ。僕がなんとかするから」
「いつごろ?」
「会社の休みが取れそうな時かな…。祥子ちゃん英語得意だったよね」
「ま、一応は好きだし、マスコミ目指しているから、ある程度はできな
いと」
「そうか、マスコミ志願だったよね。ちなみに、僕のお嫁さん志願とか
はないの?」
「えっ…。そんな冗談…だよね。私、まだ学生だし。奨学金もらってい
るから、これから就職して返さなきゃいけないし」
「あはは。ゴメン冗談…だよ」
「もう、びっくりさせないでよ。でも海外か…。私行ったことないんだ
けど、まずパスポートよね。この際パスポートとっておこうかな。ちな
みにどうやったら取れるの?」
数週間後、祥子は書類を整え、パスポートの申請に行った。
つづく…