『雨弓のとき』 (23) 天川 彩
「えっ?お父さんのこと…?」
「やっぱり今も、お父さんのこと好きなの?」
「…」
祥子の唐突な質問に、母の敏子は戸惑っていた。が、祥子はどうしても
この夜、確かめたかった。
「昔からあんなこと、いっぱいあって…。それでも許せるの?」
「許すっていうか…」
「お父さんは、ズルイよ」
「知っている」
「なら、どうして?」
「…」
「そもそも、お母さんはお父さんの何処がよくて結婚したの?」
敏子は大きなため息を一つついて、祥子の目を真っ直ぐに見つめ返し
ながら言った。
「ねぇ祥子は、どんな時、人を好きになる?」
「えっ…」
今度は祥子が、母の唐突な質問に戸惑った。
「本当は好きな人いるでしょ?」
「いやだ…どうして…」
「母親の勘」
「なによ、それ」
「祥子ちゃん、いろいろな意味で変わったから」
「い、いやだ。変わらないよ」
「急に大人になったもの。考え方も仕草も」
「うそ…」
「お母さんも、そうだったから」
「そうって?」
「お父さんと付き合いだして、急にお婆ちゃんとお爺ちゃんのこと
知りたくなったの」
「そうなんだ」
「前に話したでしょ。お婆ちゃんの初恋の話。お爺ちゃんとの出逢い
を聞こうと思ったら、お婆ちゃん、昔死んじゃった初恋の人の話をす
るのよ。そして最後に、取ってつけたようにお爺ちゃんとは、お見合
いだったから…って話を終わらせてね」
「お婆ちゃん、お爺ちゃんのこと好きじゃなかったの?」
「お母さんも、内心ずーっとそう思っていたの。ほら、お婆ちゃん
信心深かったじゃない。だから、その初恋の人の冥福を祈りに行って
いるんじゃないかって思うとなんだか嫌で。でも、そうじゃなかった
って知ったのは、お婆ちゃんが死んでからなのよね。遅いけれど」
「どういうこと?」
「千葉の伯母さんに聞いた話だけれど、お婆ちゃん、お爺ちゃんの
家の嫁だから、ご先祖様のご供養をしなきゃってずっと言っていた
らしいの。お爺ちゃんは両親を早く病気で亡くしていたし、お爺ち
ゃん自身も、ほら、体が丈夫じゃなかったから。お爺ちゃんが亡く
なった後は、供養も兼ねて、お母さんや祥子ちゃんの健康をずっと
祈願してくれていたらいしの。でも、お母さんいつもお婆ちゃんに
反発していたのよ」
祥子は、母の敏子の話で、いろいろなことが腑に落ちたように感じ
た。母も祖母も、一人の人間として様々な感情や思いと向き合って
きたのだと、改めてわかったように思えた。
「お婆ちゃん、お爺ちゃんのこと大切に思っていたんだね」
「そうなのよね。祥子ちゃんは、大切に思える人いる?」
「またその質問?」
「いるんでしょ?」
「いるよ」
「やっぱりね。で、どんな人?同じ大学の人?」
「ううん。社会人」
「お付き合いしているんだ」
「まあね」
「祥子ちゃんは、その人の何処に惹かれているの?」
「何処っていわれても…イロイロかな」
「そうよね」
「?」
「ほら、さっきお父さんのどこがよくて結婚したの?って質問さ
れたけれど、何処って一言では、なかなか言えないことでしょ」
「なるほど」
「いろんな意味で相性がいい人っているでしょ」
「そうなの?」
「いるのよ。実は…お父さんとは相性が悪いとは思っていなかっ
たのよね。二人になると、結構仲良かったりしたしね。でも、ど
ういうわけか、祥子ちゃんの目の前ではいつもケンカばかりして
いたわよね」
「うん…」
「お父さん、離婚する前の日、『本当はお母さんのことが好きなん
だけどな』ってホツンと言ったのよ」
「そうなの?」
「でも、お互い憎しみあっていたようなことろもあって…」
祥子の頭の中は、かなり混乱していた。
つづく…