2002/10/25 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
☆★☆ TEN's magazine 第39号 ☆★☆
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こんにちは!天川 彩です。
ここのところ、連日拉致事件関連のニュースが流れていますね。
このニュースに触れるたび、私は複雑な心境になってしまうのです。
拉致被害者、拉致被害者家族、拉致被害者の子供たち。
刻々と変化している状況とそれぞれに置かれた立場や心情を思うと、胸
が痛みます。
また、国交正常化に向けての綱引きや、反日感情と反朝感情…。
一朝一夕に解決できるような問題ではないだけに、どのように受け止め
ていいのか、日々悩んでしまいます。
今週と来週のメルマガでは、連載をお休みにして、私の中の日韓問題を
コラムでお伝えします。
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◇◇今日の目次◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇
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1・コラム・風の文様=== 「人間の宿業」前編
2・おすすめイベント=== 『アイヌの叡智とユーカラの夕べ』
3・店舗裏======== 『アンテナショップ ドタバタ記 2』
4・追悼会======== 『ジャック・マイヨール追悼会&上映会
5・詩の世界 ====== 『ふくろう』
6・編集後記======= ひとりごと
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【1】◆◇コラム・風の文様◆◇
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□ 「人間の宿業」前編
私の親友であるサッチャンは、日本で普通に教育を受けてきた在日韓国
人。そして彼女の夫は、日本の朝鮮学校で民族教育を受けてきた在日北
朝鮮人である。厳密にいうと彼も彼女と結婚して、現在の国籍は二人揃
って韓国籍だ。
サッチャン家族との付き合いは、現在中2の娘が幼稚園に入園した時に、
保護者同士として出会ってからだから、かれこれ10年以上になる。
彼女とは最初から妙に気が合った。そしていつしか保護者同士の関係か
ら友人となり、時が経つうちにかけがえのない親友となった。
関西を離れた今、私にとっては、サッチャンの家がもうひとつの実家の
ような存在になっている。
彼女や彼女の家族との付き合いの中で、私は様々なことを学んできた。
普段は、互いにたわいもない話をしているのだが、時に日韓問題や祖国
分離における離散家族問題、そして差別問題などに話が及ぶ。
その度、自分がいかに無知であるかを思い知る。きっと彼女との出会い
がなかったら、今でも、知らないことばかりだろう。
今回の拉致事件がニュースで流れ始めた頃、私は2年前の冬のことを思
い出していた。
20世紀が終わろうとしていた2000年。その年は、夏の終わりごろ
から何か忘れものをしているような気がして落ち着かなかった。それが
何なのか…気がついたのは11月に入ってからだった。
「21世紀を迎える前に、日本人として日本が一番痛みを覚えた場所で
祈り、また日本が最大の罪を犯した場所に行き謝らなければ…」
何故、そんな大それた思いになったのか、今でもわからない。
2000年12月「ヒロシマ2001」という催しに出演する為、私は
広島にいた。
そして、アイヌのシャーマンであるアシリ・レラさんにその話をすると
「一緒に広島でカムイノミ(アイヌ祈祷)をしたい」という。私は思い
切って自腹でレラさんを広島まで招待した。
12月11日夕刻。
サッチャン家族も広島にやって来て、私たちは広島平和記念公園方向に
向かう。
「あれ、慰霊碑が平和記念公園の中に移っとるわ」そう最初に言ったの
は、サッチャンの夫だった。
『韓国人原爆慰霊碑』
それは、平和記念公園の一角にひっそりとあった。
様々な資料を調べてみると、戦時下、日本は軍備強化の為に明治維新後、
植民地となっていた朝鮮半島から、200万とも300万ともいえる人
々を連行し、強制労働をさせていたらしい。原爆投下時、広島に住んで
いた韓国朝鮮の人々は約10万人。そのうちの約半数は被爆し、およそ
2万人が亡くなったという。更には、戦後長い間、日本人被爆者と同等
の援護を受けることすら出来なかったそうだ。
慰霊碑は1970年、日本大韓民国民団・広島県本部により建てられた
そうだが、なんと驚くことに平和記念公園の中には建てることが出来ず、
公園外の川の側に建てられていたという。
1999年になって、多くの人の運動により平和記念公園の中にこの碑
は入れてもらえたそうだ。
「ひどい…」
私は声を詰まらせた。
「あのね、日本という国はそんな国だから」とサッチャンにしては珍し
く吐き捨てるように言った。
「現実をよく見ておくんだよ」とレラさんも続く。
レラさんの亡夫は、アイヌの村に捨てられていた韓国人孤児だったそう
だ。アイヌの村では昔から捨て子は神様が使わした子として、自分の子
供と同様に育てるのだという。
移築して間もない慰霊碑の前で祈った時、私は涙が止まらなかった。
人間とはなんと悲しい生き物なのだろう…。
「どうしても、日本人として21世紀を迎える前に、あなたの祖国、韓
国に地に行って謝りたい」
私は必死でサッチャンに訴えた。
それから10日後の2000年12月21日、サッチャンと私は韓国へ
飛んだ。
21世紀は、もうすぐそこまで迫っていた。
後編へつづく
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【2】◆◇【おすすめイベント】 ◆◇
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『アイヌの叡智とユーカラの夕べ』
〜北海道・二風谷より 語り部 アシリ・レラさんを迎えて〜
2002年11月8日(金) 18:00開場 19:00開演
ムーブ町屋ホール
(営団地下鉄千代田線、京成線「町屋」都電「町屋駅前」徒歩1分)
前売り 2800円 当日3500円
先住民族の人々は、太古から言い伝えられた自然との共存や闘わずに生
きる術を守り伝えてきています。
現在、わずかしか残っていない日本の先住民族・アイヌの人々も、豊か
な文化と精神性を持ち、今なお北の大地で暮らしています。
アイヌの聖地・北海道、二風谷に住む語り部、アシリ・レラさんは、そ
んなアイヌに伝わる文化とユーカラ(口頭で伝わった叙事詩)の代表的
な伝承者の一人です。
「人と人、人と自然とがどう向き合って生きていくべきなのか…」
今回はそんな根源的なテーマをもとに、北海道からアシリ・レラさんを
お迎えして、アイヌ民族に伝わる叡智とユーカラを語っていただきます。
*この催しは小さなホールでお届けします。
じっくりとレラさんの深みのある言霊を体感してください。
お申込み方法など、詳しくは…
http://www.office-ten.net
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【3】◆◇【コラム・風の文様】 ◆◇
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□「アンテナショップ・ドタバタ記」 その2
アメリカから戻って来た数日後、静岡から真っ赤なバックパックを背負
った女の子がサポータースタッフ希望としてやってきた。
彼女の名前はキョウちゃん。
ひとしきり話しをした後、突然言った。
「一緒にずっと働かせてください!私を弟子にしてください!」
私は、あまりの唐突さに驚いた。
住むところは、しばらくの間なら、友達の家に居候させてもらえる場所
があるという。
「本当に弟子になるの?」
「はい!」
「私の弟子になるってことは、目一杯働かないとダメよ」
「今すぐにでも、思いっきり働きたい気持ちです!頑張りますから宜し
くお願いします」
底抜けの明るさと無鉄砲さが面白かった。
「わかった。それじゃ、来週から東京に出ていらっしゃい。アンテナシ
ョップの準備で、丁度人手が欲しかったところだから」
「はい!!」
翌週、約束の時間よりかなり早く彼女はやって来た。
「随分、早いのね」
「時間がどれくらいかかるかわからなかったので、30分も早くついて
しまって…」
なんと、彼女が居候をしている豊島区の大塚から、歩いて来たという。
私が驚いていると「1時間くらいしか、かかりませんでしたよ。明日か
らも散歩がてら歩いてきます」とサラリと言ってのけた。
ご近所の繋がりから期間限定のアンテナショップを開くことにはなった
はいいが、実のところまともな店を開くような資金などあるはずも無い。
でも、不思議とお金がないと、知恵がまわる。そして頼りの直感がビシ
ビシ冴える。
「困った…○○が必要だわ〜……。ん〜…。!!!きっと××さんが持
っているかもしれない」そう思って電話をかけてみる。
「どうして、私の家にそれがあること知っているの?でもいいよ。持っ
て行ってあげる」となるのだ。
事務所にあるもの自宅にあるもの、片っ端から応用して使うことにした。
そして、どうしても足りないものだけを書き出した。
開店3日前。
台風が接近して横殴りの雨が降る大荒れの天気の中、私とキョウちゃんは
アメ横のパッケージ問屋へと走った。
…つづく
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【4】◆◇追悼会◆◇
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世界的なダイバー ジャック・マイヨールが逝って1年…
『シャック・マイヨール追悼会&ガイア2上映会』
2002年12月23日(月・祝)
開場:16:30
開演17:30〜21:00終了予定
(映画上映⇒追悼会)
料金:前売り3000円 当日3800円
場所:豊島公会堂
特別ゲスト 成田 均 氏 (ダイバー)
*ジャック・マイヨールの30年来の大親友
12月23日は、映画「地球交響曲第2番」の出演者でもあった伝説の
ダイバー、ジャック・マイヨール氏が急逝してから、ちょうど一周忌に
あたります。
私達は、この日に向けて現在、追悼会及び第2番の上映会を準備いたし
ております。
当日は、映画「地球交響曲 第2番」上映後、シャック・マイヨールと
30年来の親友、ダイバーの成田 均氏をメインゲストとしてお迎えし、
ジャック・マイヨールの素顔や、彼が次世代に残したメッセージを伝え
てもらう予定です。また多くの方々から寄せて頂いたメッセージ等をご
紹介するほか、当日会場に集まった方、全員で氏を偲ぶ時間を共有した
いと思います。
大切な方と、是非参加してください。
<チケットのお申込みはFAX・インターネットで>
FAX 03−3828−5090
http://www.office-ten.net
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【5】◆◇詩の世界◆◇
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「ふくろう」
天川 彩
木の枝に、じっと止まって、
ホー、ホー、ホー。
森の賢者が云うにはね、
昼間に瞳を閉じるのは、
木々と語らう為だとさ。
何百年も、何千年も、
語り継がれたお話を。
人も自然の仲間だった、
楽し、懐かし、昔の話。
木の枝に、じっと止まって、
ホー、ホー、ホー。
森の賢者が云うにはね、
闇夜に瞳を開くのは、
真理の動きを見るらしい。
いにしえの時から繋がった、
全てを見据えた、今という時。
人も自然に回帰する
嬉し、希し、明日の話。
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【6】◆◇編集後記◆◇
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3日前、ラーメンが突然食べたくなった。
仕事が終わったのは、午後10時をまわっている。
近所の中華料理屋はもう皆、閉まっていた。
夜11時まで普段なら開いている事務所側の中華料理屋さんは「店内改
装の為、お休み」と書かれたままもう、一ヶ月も閉まっている。
しかし、一向に改装工事をしている様子も気配も無い。
「きっとそう書いて、本当は中国に帰っているに違いない。戻って来て
から、家族で壁紙でも張り替えるつもりだなぁ…」お腹が空きすぎて、
どうも不機嫌になってしまう。
ラーメン食べたい思いを胸に、少し普段行かない所まで歩いてみた。
「あの提灯がラーメン屋じゃなかったら引き返そう」
そう思って歩いたてみたが…違っていた。がっかりして、ふと横を見た
ら、到底ラーメン屋には見えない暖簾に「ラーメン」の文字が躍ってい
た。ナント、そこは東京ウォーカーでグルメ麺・ラーメンキングとなっ
た、ラーメンが極ウマの店だった。
満腹になってご機嫌になった私は「神様は、ありがとう。今夜は私をこ
こに連れて来たかったのね♪」と勝手な解釈をしていた。
aya
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発行者 天川 彩
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