2021/10/15━━━━━━━━━━━━━━━━━━

☆★☆ TEN's magazine 第991号 ☆★☆

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こんにちは!天川 彩です。

あっという間に一週間はやってきますね。
先週末は、竹中あこさんと初めての共催で「トーキングフェ
ザー」と題した催しを開催しましたが、私たちの想像以上に
濃くて深い時間となりました。

やはり、ネイティブの人々は昔から鳥の羽を儀式や祭りに使
っていますが、そのチカラを目の当たりにした時間となり驚
いています。場の力もありますね。やはりHopiショップ
の中は、通常は方チーナたちがいる空間であり、結界を張っ
たような空間。そんな中でHopiセージを焚き、あこさん
の祈りの歌声に包まれ、参加された方々が深層にある言霊を
出していく…。最後にはちょっとしたサプライズも用意して
おり…。

まさにセレモニー&コミュニケーションワークという表現が
ピッタリでした。

毎回参加された皆さんが、口々に「心が凄く軽くなった」と
か「こんな時間が欲しかった」などと言ってくださり、開催
して本当に良かったね、とあこさんと話していました。

そして、定期的にとか頻繁には出来ないけれど「今度開催す
る時には是非参加したい」という方も多かったので、寒くな
る前にもう一度開催しましょう、ということに。

11月6日(土)に次の「トーキングフェザー」を開催いた
します。
時間は10時30分~13時30分と、15時~18時。
人数は各回限定5名ということにしました。

詳細は
【トーキングフェザー・HP】
http://www.office-ten.net/talking11.html
気になる方は、ぜひお早めにお申し込みください。

さてさて、今月の初め、私は宮城県の名取市に行ってきま
した。その時のことを写真付きでブログに書いたのですが、
今週は、文章のみにリメイクしてメルマガに書こうと思い
ます。

■『名取ノ老女』に会いに行く

熊野権現の導きだろうか。それとも老女が呼んでくれたの
か…。ずっと気にかかりながら、再訪出来なかった場所へ、
ようやく先日行くことが叶った。

十数年前になるが、ある出版社からの依頼で『熊野大権現 
大自然と祈りの聖域』というDVDを制作させてもらったこと
がある。私の人生初の監督作品だ。

一年間かけて熊野の各地を巡り、四季折々の美しい風景と
共に、日本人はなぜ古来より熊野に惹かれるのかというテ
ーマに沿った映像作品をつくるという、今思い返しても有
り難すぎるほどの仕事だった。

それまでも熊野に縁があり、幾度となく通ってはいたが、
この作品が完成した後には、熊野権現からのご褒美かのよ
うに、全国各地にある熊野神社を巡る機会が増えた。


ある時、仙台に住む方に「近くに東北の熊野信仰の中心的
存在である名取熊野三山があるので是非」と案内して頂い
た。確かに、そこには熊野三山それぞれの空気感漂うお社
があった。中でも那智神社の宮司様は、熊野大権現のDVD
をとても気に入ってくださり、いつか神社でこの映像の上
映会を行いたいとも言ってくださっていた。

それから数年後、日本大震災が起こった。

名取熊野三山も被災したというニュースを目にして、とて
も気になってはいた。ただその時既に私は岩手県宮古市に
ある熊野神社での炊き出しを行うなど、他の支援活動を始
めていたこともあり、肉体的にも精神的にも手一杯で、結
局、連絡を取るタイミングを逃してしまった。

そして、それはずっと心の端に引っかかっていた。

その思いを知ったか知らずか。熊野の神様は嬉しい計らい
をしてくれるものだ。

数年前、明治神宮で熊野本宮大社御創建2050年記念シンポ
ジウムが開催された。300名近くが参加したものだったが、
観世流能楽師・鈴木敬吾さんの奥様、秀子さんとたまたま
席が隣り合わせとなりというご縁で知り合った。その出会
いがきっかけとなり、その後も親しくお付き合いさせて頂
いている中で、復曲能『名取ノ老女』の話を聞いた。

この能は、室町時代に完成し、明治時代まで演じ続けられ
てきたそうだがその後途絶えていた。それを東日本大震災
の復興事業の一つとして、震災から5年後に国立能楽堂が
中心となり、国文学研究資料館の副館長、小林健二教授の
手で復曲されたのだという。

時代は平安末期。

名取の地に住む一人の巫女は、深く熊野を信仰し、毎年の
ように紀州へ熊野詣を繰り返してきた。しかし、年老いて
参拝が叶わなくなってきたことから、紀州の熊野から名取
の里に小社を建立し分霊勧請する。

ある時、旅の山伏が熊野権現のお告げにより、一葉の梛
(なぎ)の葉を持って老女のもとを訪れる。その葉には虫
喰いの跡のように、次の和歌が書かれていた。

「道遠し年もいつしか老いにけり 
思いおこせよ我も忘れじ」

老女は熊野権現の有り難すぎる言葉に感涙し、山伏に小社
を案内する。

このことから、老女の徳が周囲の人々も知ることとなり、
改めて、仙台湾を熊野灘、名取川を熊野川、そして高館丘
陵を熊野連峰に見立てて、熊野本宮大社、速玉大社、那智
大社からそれぞれ別に勧請。

熊野三山と地理的、方角的に同じ現在の地に、保安年間
(1120年代)名取熊野三山が建立されたのだ。


今年2021年は東日本大震災から10年。その節目の年という
ことで改めて復興祈念事業の一つとして3月に国立能楽堂
でこの復曲能『名取ノ老女』が再演され、秀子さんと共に
鑑賞させてもらった。

900年の時を超え、老女の熊野権現への深いや喜びが私の
魂に届き、涙が止まらなかった。

国立能楽堂からの帰り道、秀子さんから10月には名取の地
で再び上演されると聞いた時、ようやく…10年の月日を経
て、再び名取の熊野三山へ行く機会を与えて頂いたような
気がした。

名取市民会館で行われる復曲能『名取ノ老女』は午後2時
からだった。

秀子さんは飼っているネコちゃんのこともあるので、日帰
りされるとのことだったが、私はどうしても名取の老女の
お墓参りを先にしておきたかったので、前泊することにし
た。そして名取熊野三山にもお参りをして、もしも那智神
社で宮司様にお会いすることが出来たなら、10年前、お見
舞いの連絡やお手伝いが出来なかったことを詫びたいとも
思った。


秀子さんに前泊することを告げると、秀子さんは、なんと
那智神社の宮司様と既に連絡を取られていて、午前中、お
会いする約束をされていた。名取老女の墓など色々巡るの
なら早朝の新幹線でやって来られるという。

更に名取の老女のお墓のすぐ近くに老女が最初に勧請した
小さな熊野三山の社もある様なので、そこにも行ってみよ
うということになった。


前日、ホテルに泊まりながらネットでその小さな社のこと
を調べてみたのだが、なかなか難しく辿りつけない人が続
出の様子だった。なぜなら誰もが立ち寄れる場ではなく、
今は個人宅の中にそれぞれあるからだ。

ならば、歴史民俗資料館にまずは行って聞いてみよう!と
いうことになり、秀子さんとは午前9時に資料館で待ち合
わせをすることにした。


その日の朝は、早朝から良いお天気だった。

秀子さんと再びすぐ行くことになるが、まずは最初の目
的地、名取ノ老女のお墓へ歩いて行ってみることにした。

ただ、ホテルからはかなり距離もあった。私はお墓から
資料館まではタクシーで移動することにして、フロント
で、お墓前にタクシーを呼んでもらうことにした。

のどかな風景が続く中、早朝歩くのはとても気持ち良か
ったのだが、さすがに足もだるくなる中、バス停を発見。
時間が合えばバスに乗るのも良いかも、と思い時刻表を
見ると、なんと一日一便。東京の頻繁な交通網に慣れっ
こになっている私は、とても新鮮な気持ちになった。

やはり歩くしかない。

そして、真っ直ぐな道を歩き、ようやく見つけた。

名取老女の墓。

熊野権現を深く信仰し、そして熊野権現に愛された女性
は、今も地元で大切にされてきた。

そのお墓の横に、三社についての説明書きがあった。

タクシーを呼んでいる時間まで、まだ少し時間もあった
ので、その地図を元に歩いてみることにした。でも、や
はり分からず近隣の農家の方に尋ねてみると、地面に地
図を書いてくださったりもしたのだが…行くのは難しそ
うだった。

お墓の前に戻り、タクシーを待っていた時のこと。

タクシーはやって来たのだが、なぜか直前の場所で急に
Uターンして来た道を引き返して戻ってしまったのだ。
その日、私は黒い洋服を着ていた。もしかすると、タク
シーの運転手さんは、お墓の前に呼ばれ、気持ち悪いな、
と思いながらも車を走らせ、そこで一人ポツンと黒い服
を着ていた女性を目にして怖くなり、帰ってしまったの
ではないだろうか…。

そう思ったら可笑しくなってしまったが、秀子さんとの
約束の時間のこともあるので、私は仕方がなくホテルに
電話をして、再びタクシーに向かってもらえるよう頼ん
だ。


案の定、名取民俗資料館には秀子さんの方が先に到着し
ていた。中には名取ノ老女についての資料館が沢山展示
してあった。

私は、館長さんに事情を説明し、名取老女の墓のそばに
ある、最初の三社の場所を地図に記してもらった。
確かに入り組んでいて、あの簡単な地図では到底わから
ない場所にあった。更に個人の敷地内にあるので、必ず
訪ね願いをして、了承してもらった上でのお参りを、と
いう前提付きだった。

タクシーを呼び、再び名取老女の墓に向かった。
秀子さんとそれぞれ写真を撮ったのだが、ちょうど太陽
の光線具合なのだろうが凄い虹が入り込み、名取ノ老女
に喜んでもらえている気がした。

そして資料館で書いてもらった地図を運転手の伊藤さん
に渡して、小さなお社の場所を前もって確認してもらう
ことにした。

館長さんや伊藤さん、そして近所の農家の方などのお陰
で、私たちは名取ノ老女が最初に祀った小さな熊野三山
にたどり着くことができた。

そのあと、私たちはそのまま伊藤さんのタクシーで、現
在の社がある名取熊野那智神社へ向かった。

震災で建物も被災したとのことで、社務所は新たな建物
になっていたが、社殿はそのままだった。そして、熊野
の那智大社と同じような珠色の欄干からは、閖上の浜が
見えた。


震災時、何度もニュースで耳にした閖上(ゆりあげ)地
区だ。当時5,000人以上の人々が暮らす中、そのまま大
津波に飲み込まれ、800名以上が犠牲になったという。


私はそこから見える風景と多くの御霊に手を合わせた。

そしてお目にかかった宮司様は、十数年前にお会いした
宮司様ではなく若い宮司様だった。

話を伺うと、お目にかかった宮司様は、震災の年にお亡
くなりになっていた。その後いらした宮司様も変わられ
たとのことだったが、今の宮司様も今回の訪問を大変喜
んでくださり、改めてご縁の結び直しをさせて頂いた気
がした。

その後、伊藤さんのタクシーで名取熊野本宮社、

最後に熊野神社(名取新宮社)へと向かった。

歴史民俗資料館に行った際、熊野神社のお社の中には、
名取老女を祀った社があると小さく書かれていたことが
気になっていた。しかし、それらしいものは見当たらず
だった。一旦はそのまま神社を後にしたが、やはり気に
なり引き返し、熊野神社の宮司様に尋ねてみた。

今回『名取ノ老女』の能を観に来ていること、その前に
名取ノ老女にまつわる場所でお参りをしていることなど
を告げると「普段は禁足地ですが、どうぞ」と社殿の方
へ進み、鍵を開いて特別に中へ入れてくださったのだ。

熊野十二社権現社のとなりに、老女の宮として、名取ノ
老女は神様となって祀られていた。

私は泣きそうになった。

熊野を深く信心していた女性は、熊野権現からも深く愛
されていたのだ。

その日、市民会館で名取の方々と共に再び『名取ノ老女』
の復曲能を鑑賞させていただいた。

以前鑑賞させていただいた時には、老女の気持ちに感動
したが今回は老女は熊野権現と共に、この地の人々を守
り続けているのだと強く感じた。

感動を胸に夕刻家に戻り、名取那智神社の宮司様から頂
いたお土産を開けてみると、可愛らしい、名取老女の姿
が描かれたお菓子が入っていた。その老女が

来年の春には、名取で秀子さんが『名取ノ老女』をご本
人が書き下ろした新作の講談を披露するという。

その日が私は今から楽しみだ。


今日は長いメルマガになってしまいましたね。
先週からはじめている「ハミングバード」のデザート。
お陰様で大好評です。

早速、お店でパフェを食べてくださったり、オンライン
ショップからご購入いただいたり、嬉しい限りです。

お店でもオンラインでも、どちらも「美味しい」を満足
していただけるのではないかと思います。
https://hummingbird-japan.com/

ぜひぜひ、皆様のお越しを心よりお待ち申し上げており
ます。

TEN’sセレクトは、今月末あたりから、ペルーより
アルパカのセーターやベスト、またイタリアの軽い花柄
コートなど、インポートものが続々入荷してきますよ。

緊急事態宣言も明けましたので、どうぞ谷根千散策がて
ら、いらしてください。

それでは、どうぞ皆様良い週末をお過ごしください♪