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☆★☆ TEN's magazine 982号 ☆★☆

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こんにちは!天川 彩です。

日本列島、すっぽりと雨雲に覆われたお盆となりましたね。
今は西日本が豪雨の中心のようですが、天気図を見ると何
処に極地的な大雨が降っても不思議ではありませんよね。
本当に災害が出ないことだけをただただ祈ります。

そして日本のみならず地球全体が、相変わらず重い雲に覆
われたような新型コロナウィルスの状況。特にデルタ株は
空気感染ということで、これまでとは違うスピードで急激
に広がっているようですね。

これまでも、マスクや手洗い、指先消毒など、ほとんどの
方ができる限りの感染症対策を行ってきたと思うのですが
空気感染となると…防ぐことが本当に難しく…。

もう、こうしたことについて書くことすら辛くなりますが
どうぞくれぐれも皆様お気を付けてくださいね。

とにかく、うつらない努力、うつさない努力が必要ですよ
ね。

ワクチンについては、前から書いておりますが、様々な考
え方があり、また、したくても出来ない人もいるので、一
概には言えない難しい問題です。

ただ、ワクチンに対して恐怖を煽るような言動を拡散する
人々が、最近あまりにも多すぎることに悲しみすら感じま
す。

もちろん、ワクチンをしたら安心安全という訳ではありま
せん。また、ワクチン接種率を上げる為に、接種した人に
は特典差し上げます、なんていう話もちらほら目にします
が、それらは愚の骨頂のような気がします。

ワクチン接種しなければ大変なことになる、もしくは、ワク
チンをしたら大変なことになる、これは共に恐怖を煽る言
葉です。誰かの言葉を鵜呑みにするのではなく、やはりそ
れぞれがしっかり調べて、後悔ない選択をするのがベスト
ですよね。

私は私の判断で2回目接種を終え、2週間ほど経ちました。
私がワクチン接種した理由は、以前にも書きましたが、ど
うして
も行く必要があると感じた場所には、最善の策を講じて行
きたいと思っているからです。
要するに、自分が感染源になる確率を下げる為にはワクチ
ンしかありません。

それでも、もちろん感染する確率はゼロではありませんの
で、重々注意する必要はあります。
でも、先程も書いたように、感染確率は格段に下がること
は事実です。

また、タイミングが整えばホピの村にも行きたいので、そ
の為にも、ワクチン接種が今は絶対に必要です。

まぁ、これは私の場合、という個人的な見解なので、人そ
れぞれ異なります。

将来的なリスクを考えて躊躇する、という人の意見もよく
わかります。

ただ、20年近く続けている旧暦七夕の天河神社のご奉仕に
可能なら今年も参りたいと思っていたこともあり…。

宮司様の年齢や村の人々のことを考えると、ワクチン接種
なしの無防備な状態では、天川村に行ってはいけないな、
と春から思っていました。

そんな訳で、明日の旧暦七夕祭のお手伝いに、今日から一
人天河です。いくらワクチン接種したからと言って、100%
安全なワタシではないかもですが、マスクは神社では外さ
ず大きな声では喋らず…で、天川 彩として天河の七夕神
事に今年もご奉仕したいと思っています。

で、先日もトンボ返りの駆け足でしたが、福岡の志賀海神
社に行っておりました。

以下ブログに書いた文章ですが、その時のことを今日はコ
ラムとして綴りたいと思います。


コラム 風の文様

□『龍宮の神のもとへ」

志賀島(しかのしま)。先日、福岡へ向かう飛行機の中か
ら海神の島の全貌を目の当たりにして、胸が高鳴りました。
この島に最初に訪れたのはいつだったのか、正確なところ
は覚えていません。
ただ縁あるところは通うことになっているようで…。

緊急事態宣言下ではあるものの、どうしても行く必要を感
じ、トンボ帰りに近い状態でしたが、この島に行ってきま
した。

志賀島といえば、一般的には子どもの頃社会の教科書に出
ていた金印(日本で出土した純金製の王印『漢委奴国王印』)
が見つかった島として広く知られています。

でも、それ以上に重要なことは古代から続く海人・安曇族
の本拠地であるといえこと。海神である綿津見(ワダツミ)
の神の総本社である『志賀海神社』があるのです。

綿津見神とは、表津綿津見神、仲津綿津見神、底津綿津見
神の三柱の神様の総称であり、伊弉諾が黄泉の国から戻り
身を清めた時に生まれた神様です。古来より「海の守護神」
「禊祓の神」そして「再生回帰の神」として知られていま
す。

信州の安曇野や渥美半島など(あづみ)(あつみ)の地名
がついた場所は、この安曇族の人々が移り住んで付けた地
です。何故、安曇族が全国各地に移動したのかは、諸説
あるようですが、今も安曇族直系の末裔の方が志賀海神社
で綿津見神をお守りし続けています。

有り難いことにご縁があり、権禰宜の平澤憲子さんと親
しくさせていただいている中で、復曲能『わたつみ』が
志賀島神社本殿で行われる事を知りました。

復曲能というのは、かつて上演されていた作品が時代の流
れの中で衰退。いつしか忘れかけられていたものが専門家
の手を借りて、今の世に再び蘇らせることが出来た能のこ
とです。

ちょうど今年の3月、観世流能楽師シテ方、鈴木敬吾さん
の奥様から声をかけていただき『名取の老女』という復曲
能を国立能楽堂で鑑賞しました。この復曲能は、数百年ぶ
りに復曲されたものだそうで、熊野権現と熊野権現に導か
れた老女の東北が舞台となるお話でした。

その翌月となる4月、同じく国立能楽堂で、志賀島を舞台
とした『わたつみ』の復曲能が行われた、という話を知り
ました。この復曲能は志賀海神社に伝わるもので、観世流
能楽師シテ方の片山信吾さんが5年かけて復曲。2017年
に完成し、その年、志賀海神社で奉納し、福岡の能楽堂で
初演。次に京都で。そして今年の4月に国立能楽堂で、と
いう流れでしたが、いよいよ本拠地、志賀海神社で七夕祭
薪能というカタチで、復曲能『わたつみ』再演のお知らせが。

私は何故か「海の神様が動かれる!これは行かなければ!』
と直感的に強く思い、迷うことなく行くことにしました。

志賀島までは、陸路で行くこともできます。ただ今回だけ
は、海の神様から呼ばれてのこと。
海を渡って向かうのが筋であろうと思いました。

まずは志賀海神社へお参りに。
参道に並ぶ家の前には、七夕のお飾りが出ていました。

それも7月7日でも旧暦でもなく、8月6日から7日に七
夕行事を行う風習のようで、故郷の北海道と同じで、何と
も懐かしい感覚に。

志賀海神社は先にも書いたように「禊祓」の神でもあり、
御塩井と呼ばれる清めの砂で自ら清めて参殿へ。

志賀海神社は、別名「龍の都」とも呼ばれており、龍宮
の神の場でもあるのです。七夕祭のこの日は、龍の絵が
描かれた灯籠がいつくも並んでいました。

お参りを終えて、色々手配いただいた権禰宜様にご挨拶を
した後、お宿に向かおうとした時、神社の法被を着てお手
伝いをされていた男性が、「薪能は夜だけど、夕方5時か
らご神事があるよ」と教えてくださいました。

私は一旦宿に戻り、5時に再び神社へ戻ることにしました。

宿は、島の北側、勝馬という地区にありました。

勝馬の浜は、かつて神功(じんぐう)皇后が三韓征伐の折
この地で馬から降りられたことされています。

神功皇后は、海人族の長であり海の底に棲む安曇磯良(い
そら)を待ちますが、なかなかやって来なかったので、こ
の浜で篝火を焚き神楽を奉して呼び出します。磯良は、
亀に乗ってやって来た折、龍神より借り受けた干珠・満珠
を持って来るのですが、その珠を乗皇后に渡したことから、
皇后は三韓を平定し無事に帰還したという伝説が残ってい
ます。

この勝馬は、志賀海神社の元宮となる表津宮(うわつぐう)
・仲津宮(なかつぐう)沖津宮(おきつぐう)の3宮から
成っていました。時代は定かではありませんが(2世紀〜
4世紀頃)表津宮が、志賀島南側の勝山地区の現、志賀海
神社境内に遷座され、仲津宮、沖津宮は摂社となっています。

調べると、沖津宮は浜の先、海に浮かぶ小島にあり、仲津
宮は宿からさほど離れていないところにあることがわかり
ました。それも、中津宮は古墳であり、海人族の長のお墓
だということもわかりました。

17時からの神事に参列する為には16時半に宿の前から出
るバスに乗る必要があり、ほとんど時間はありませんでし
た。でも海の神である『わたつみ』の復曲能を鑑賞する前に
どうしても行かなければ…と思い、私は地図を頼りに中津
宮古墳に向かいました。

安曇族の祖神、安曇磯良によって現在の地に志賀海神社が
遷座されるまで、この仲津宮を含む綿津見三神は勝馬に祀
られていました。

中でも仲津宮には、7世紀後半のものとされる、海人の長が
祀られ古墳になっています。

鳥居をくぐり、中に入ろうかとも思いましたが、やめました。
時間が限られているので、どれぐらいの時間を要するかわか
らなかったからです。

いや…それ以上に夕闇迫る中、奥まで見えない薄暗い鬱蒼
とした古墳の山道を、一人で歩くことに気持ちが向かなかっ
た、というのが正直なところです。

私は鳥居の前から、海の神である綿津見神と安曇族の祖神
である安曇磯良、そして古墳に祀られた安曇族の長に、こ
こまで連れてきて頂いた感謝と、世の安穏を祈り、宿まで
走って戻りました。

バスの出発時間までは僅かでしたが、これから七夕神事と
薪能です。汗ダクの状態では行きたくなかったので、速攻
で宿のお風呂に入り、洋服を着替えて化粧をし直し(と言
ってもマスクなのであまり関係ないのですが)身なりを整
え再び神社へと向かいました。

本殿に着いた時、ちょうど太鼓が鳴り響き、まさに神事が
始まるところでした。

コロナ禍だからなのでしょう。祭主と神官の方2人、そし
て参列は氏子代表の方がお二人だけという、ひっそりとし
た七夕祭のご神事が始まりました。私は迷惑にならないよ
う拝殿外の脇に静かに立ち、ポツンと共に祈らせていただ
いていましたが、気付くと周囲には沢山の人々が同様に神
事に参列するように、共に祈っていました。やはり祭の神
事は、共に祈る人が多い方が神様も喜ばれている気がしま
す。

祝詞を含めほぼ神事も終盤に差し掛かり、祭主、続いて氏
子代表の方が玉串を挙げられた後、突然、神官の方から私
は手招きされました。玉串を手渡されたのです。

思いもしなかった玉串奉奠(ほうてん)を七夕祭神事でさ
せていただき、ありがたい限りでした。

志賀海神社と七夕祭。どんな関係があるのか調べてみると、
漁師に伝わる海洋術と星巡りの強い結び付きがあるところ
からなのだとか。毎年、博多湾の漁師たちが、海洋安全祈
願の為にお祭りにやって来るのだそう。

境内では、見慣れない木の枝とお茶が売られていました。

木の枝は『事無き柴』と呼ばれるものです。
神功皇后が三韓出兵の際、志賀海神社に祈願し出港。無事
に戻られた神功皇后は、志賀海神社で事なきを得たことに
感謝し、船の椎の櫂を勝山の山中に埋めたとされ、後にそ
こから芽吹いた椎の木の葉を漁師たちがお守りとしたこと
が始まりとされているようです。

椎の枝を束にした柴は、今も博多湾の漁師さんたちのお守
りとなるのだそうで、一年間授かった『事無き柴』は、翌
年の志賀海神社の七夕祭でお返しするとのことでした。

『志賀茶』は、その椎の葉を七夕祭に参拝に来られた方の
為に煎じたものを昔は出していたそうです。でも、今はそ
の名残として、この時だけ『志賀茶』として縁起の良いお
煎茶を販売しているのだそう。
せっかくなので私はこの『志賀茶』を購入しました。

そして、夕暮れ迫る頃…。
松明に炎が灯り、いよいよ志賀海神社七夕祭薪能が始まり
ました。

まずは『宵待之翁(よいまちのおきな)』と名付けられた
『翁』からでした。

『翁』は「能にして能にあらず」と言われるように、神事
の意味合いが深く、まさに神聖な儀式。翁は神となり天下
泰平、天下安穏を祈祷する舞をするものです。本来、新年
の、それも深夜に行われることが多いのですが、夏の七夕
祭のそれも宵待ちの時に合わせたこの『翁』は、志賀海神
社でしか観ることが出来ない特別なものでした。

「翁」は片山信吾さん、露払いの役割である「千歳」は片
山信吾さんの御子息である片山峻佑さんが舞われ、大倉
源次郎さんの小鼓などと共に幽玄な『宵待之翁』が繰り広
げられ、まさに神聖なる儀式を体感させてもらいました。

そして、いよいよ『わたつみ』の復曲舞囃子。

2017年に復曲能として完成し、福岡・京都そして今年東京
の国立能楽堂で上演した際には綿津見三神が後段で登場し
たそうです。ただ原曲では、安曇族の祖神・安曇磯良の登
場となっていたことから、今回、後シテを磯良とした『磯
良之式』として、その一部である復曲舞囃子の上演です。

舞囃子(まいばやし)とは、能の曲の中の舞所だけを取り
出して、シテ一人が面・装束を付けず、紋服・袴のまま、
地謡と囃子を従えて舞うものです。

素朴な舞、シンプルな舞台であるが故に、私は強く深く綿
津見神の世界に引き込まれていくような感覚になり…。海
の神が、龍神が動き、今の日本の状況を憂い、表の世に現
れてくださっているように感じました。


やはりここは龍の都。


終演後、主催側でお忙しいであろう憲子さんが、少しゆっ
くりとお話する時間を作ってくださいました。

昼間、仲津宮にお参りに行った話を伝えると、古墳に祀ら
れているのは安曇比羅夫のものではないか…と。

安曇比羅夫というと、白村江(はくすきのえ)の戦いで陣
頭指揮にあたった人物です。時代的なことや古墳に祀られ
るほどの長である人物という点から考えても、確かに合点
いくものでした。

神代の時代、伊弉諾が黄泉の国から戻り禊をした折に生ま
れた海の神、綿津見三神。
そして神功皇后に龍宮の珠を渡した安曇磯良。
更には天智天皇や大海人皇子に仕えた安曇比羅夫。

この日の夜、私は海の神、その子孫たちは、この国が新た
な時代を迎える時に大きな働きをされてきており、今の時
代に再び大きく動かれるのではないだろうか…と強く感じ
ていました。

翌朝、東京に戻る前、私自身の禊をしたくて、少しだけ海
に身体をつけました。

そして、前日行くことが出来なかった仲津宮古墳に再び行
くことにしました。

山道を登り切ると…
お社が現れました。

そして、その入り口前には、『この場所の下は、「仲津宮古
墳(竪穴式石室 墓の玄室)」となります。上がって踏ま
ないようご注意ください』と書かれた板が貼られ、確かに
この下に葬られていたことを記すものがありました。

この地で改めて手を合わせていると、突然何故か天皇陛下
のお顔が浮かびました。

未だ終わりが見えないコロナ。この国の民たちが苦しみ、
世界中の人々が辛い思いをしている現状に、もしかすると
世界中の誰よりも天皇陛下は心痛めておられているのでは
ないだろうか…。

そう思うと、天皇陛下の御心の平穏を祈らずにはいられな
くなり、幾度も弥栄(いやさか)、弥栄、弥栄…と口にして
いました。

その後、真っ直ぐ空港へ向かい、東京に戻りました。

飛行機から降りてスマホの電源を入れた途端、ニュースで
台風が日本列島に渦巻いている天気予報図が。


私には、龍神たちがこの国の祓いをしているようにしか見
えませんでした。

             おわり


今日は、少し長いメルマガになってしまいましたね。
それでは、皆さま、どうぞくれぐれも大雨などには注意し
ながら、素敵な週末をお過ごし下さい♪

                aya