2023/03/24 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

☆★☆ TEN's magazine 第1060号 ☆★☆

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こんにちは!天川 彩です。

桜が満開!と喜んでいたら冷たい雨が降り続き…花冷えとい
う感じですね。

でも、今週は日本中が歓喜に沸いて、熱くなりましたね!
WBC侍ジャパン!やってくれました!私は残念ながらお仕事で
リアルTV観戦はできませんでしたが、それでも速報は随時入
るので、準決勝、優勝ともに嬉しかったです♪

世紀の野球観戦もせずに、どんなお仕事をしていたかという
と、カフェです。
お陰様で、TV番組で取り上げられて以来、お店の認知度が上
がりまして、遠方からもいらっしゃるお店となり…。先日の
祝日も目がまわるほどの忙しさで、朝から突然11名様の団体
が来られたり、その後も夜までてんてこ舞い。

実はアルバイトさんが今も足りず…結局、祝日は享ちゃんと
2人でカフェを切り盛りしたのですが、オープン以来のお客
様の数でした!大変でしたが、本当にありがたい限りです。

さて。
先週は、九州からのメルマガ配信でしたが、見に行った特別
国際企画展『加耶』展のことを、ようやくブログにアップし
ました。

メルマガ読者の皆様にいち早く読んでいただきたく、下にブ
ログの文章、貼りますね。

写真付きでお読みになりたい方は、ぜひブログをチェックし
てみてください♪

https://ameblo.jp/aya-tenkawa/entry-12795254020.html



『加耶(伽耶)に触れに行く』


居ても立っても居られない…久しぶりにそんな感覚になりま
した。

「九州国立博物館」で特別国際企画展『加耶』が行われてい
ることを知ったのは、会期終了3日前のこと。

更に昨年末には千葉の「国立民俗歴史博物館でも開催されて
いた、ということも全く知りませんでした。

加耶展の巡回展があるかと思い調べてみたら、これから先は
韓国国内を巡るとのこと。さすがにハングルは読めないし…。
企画展最終日は都内で用事もあるし、残念ながら諦めるしか
ないかなぁと思った時、ヒラメイタのです!

そうだ!仕事のスケジュールを調整したら、最終日前日なら
見に行けるかも!いや、行こう!

そのような訳でその日の夜、即座に飛行機と宿を手配し、翌
日には飛行機に乗っていました。

加耶(伽耶)というのは、3世紀頃から6世紀ごろまで古代朝
鮮半島南で文化が栄えていた諸国のことです。かつて倭とも
大変関係深く、古代日本との繋がりが色濃かった場です。

なぜ、こんなにも私が加耶に惹かれたのか。
それは不思議なご縁が以前からあったからで…。

加耶は、地理的な範囲は、時期によって移り変わっているよ
うですが、概ね朝鮮半島の南東部にあたるところにあり、現
在の慶尚南道(キョムサンナムド)と呼ばれるところを中心
に存在していました。

実は、その韓国の慶尚南道の東京事務所の方と私、少しお付
き合いがあるのです。

2006年、私が書いた小説『タイヨウのうた』が後に韓国語版
としても翻訳出版された折、彼の地でもブームになったらし
く…2009年、ミュージカル化されるということに。

その時の主催者が慶尚南道の方で、著作権の問題を相談しに
現地の行政窓口に行き、そこから慶尚南道東京事務局長さん
に話が繋がり、私に連絡があったのです。

著作権の話に関しては出版社に全面お願いすることにして、
所長とは日韓関係の話から加耶の話に。

加耶の話を初めて知り、更にかつて加耶の中に任那(みまな)
日本府という倭国の一部のような場もあったと聞き驚きました。

ただそれ以上に、韓国と日本の考古学者が共同で発掘調査を
行っている最中で、これから謎が解明されつつある、という
話しに感激したのです。そんな私に、所長さんは、いつか機
会があれば、加耶を舞台にした小説を是非書いて欲しいとも。

以後、慶尚南道東京事務所さんとは、その後も年賀状を送り
合う関係だけは続いているのですが、

何はともあれ、それ以来ずっと加耶このとが意識から消える
ことはありませんでした。

なので、突き動かされるような思いで、見に行ったのです。

それでは、肝心の九州国立博物館で開催されていた特別国際
企画展『加耶』のことに触れていきましょう。

加耶は、先に触れたように朝鮮半島南部で概ね3世紀〜6世紀
に栄えた諸国を総称した呼び名です。

この企画展では、考古学的に認識可能な、金菅加耶(きんか
んかや)、阿羅加耶(あらかや)、小加耶、大加耶の四つの
国々が扱われていました。

つまり、かつて日本府が置かれていたともいわれる、任那は
考古学的に認識できていないものなのでしょう。それらに関
する資料はありませんでした。

ただ、日本列島はちょうど古墳時代にあたる頃。
王陵(王の墓)が盛んに作られているのは、加耶の影響が多
分にあったことは、疑う余地もありません。

金菅加耶(きんかんかや)、阿羅加耶(あらかや)、小加耶
大加耶、それぞれの歴史や特徴などはさて置いておくとして、

要するに加耶は、朝鮮半島にあった他の古代国家、高句麗・
新羅・百済と戦い、また時に和合しながら、562年に滅亡する
まで、古代日本に多大なる影響を及ぼした諸国なのです。

加耶には倭人の痕跡が残り、また日本各地には、加耶からや
って来た渡来人たちの痕跡が今も残っています。

4世紀、加耶では日本の糸魚川産の翡翠の勾玉が王の象徴とし
て既に使われはじめ、その影響で他の朝鮮半島の国々でも黄
金の冠についた勾玉が多数発見されています。

5世紀には、加耶から様々な技術が倭(日本)にもたらされる
ようになり、鉄の道具類をはじめ、須恵器や、炊事道具など
が加耶から入っています。加耶から馬もやって来たと考えられ
乗馬の技術もその時に入ったそう。

加耶では鉄製の武器や武装具が沢山作られていますが、これ
は強国に挟まれていることもあり、常に戦いに備えておく必
要があったのではないかと考えられています。

また王や有力者の墳墓から、金の装飾品も多数出てきている
ことから、鉄生産地である利点を生かし、力を蓄えていたこ
とが伺えます。

そんな中、今回加耶の遺跡から発見された銅矛や剣を見た時
出雲歴史博物館で展示されていたものとの類似性に愕然とし
ました。

思えば、神代の時代とされた時代です。加耶と倭との交流が
盛んだったので、当然といえば当然なのでしょうが、

今回、特別国際企画展『加耶』を見たことで、日本の神話が
神話の物語ではなく、リアルなものに感じ始めています。

余談ですが、展示されていた土器の中に、オフィスTENの事
務所で長年飾っている土器にそっくりな土器を見つけ、ビッ
クリしました。

これは「車輪飾り土器」というもので、二十数年前、韓国
慶州に行った折、たまたま見つけたものです。その独特な
フォルムに惹かれ、何に使うのかも不明なまま購入。ずっ
と事務所の中に飾ってきました。今回の展示で、この土器
の名前もわかりましたが、朝鮮半島南部・独自の祭祀具で
あることもわかりました。

これまで20年以上、縄文に視線を向け続けてきましたが、
ここにきて、弥生、古墳へも視線を向けてみたくなってい
ます。


今週は、ブログの文章紹介したので、少し長くなってしま
いましたね。

ではでは、どうぞ皆様今週も良き週末をお過ごしくださいね、


aya

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【天川 彩ブログ】写真付きはこちら↓

~加耶(伽耶)に触れに行く~

https://ameblo.jp/aya-tenkawa/entry-12795254020.html


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