2005/04/29━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


     ☆★☆  TEN's magazine 第163号  ☆★☆   
  

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 こんにちは!天川 彩です。
いよいよゴールデンウィークに突入しましたね。
皆さんいかがお過ごしですか?
私は、あまり遠出せず、横浜や千葉などに少し出かけて、後は、熊野の
作品にゆっくり取り掛かっていようかと思っています。

今週のメルマガは、来週との合併号とさせてください。
また、今回の内容はGWということもあり、いつもと少し趣を変えて、
紀行文をお届けいたします。
これは、かつて岩手に行き、宮沢賢治を探す旅をしたときに書いたもの
です。
どこにも旅行に行かない方に、ほんの少しでも旅気分を味わっていただ
けると嬉しいです。

では、皆さん素晴らしい休日をお過ごしください。

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◇◇◇◇ 目次◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇
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1・紀行文=========「宮沢賢治を探す旅」
2・編集後記========ひとりごと
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【1】◇◆紀行文◆◇
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■「宮沢賢治を探す旅」
               

 宮沢賢治は岩手県のことを、イーハトーブと言った。

 創作活動と農業そして信仰を生きた彼の宇宙的な感性と視点は、どこ
からきていたのだろうか。4次元的な銀河の空間と緑豊かな大地、芸術
と農業科学が一体となった理想郷
イーハトーブへ彼を探しに訪ねてみた。

 賢治が眠る日蓮宗身照寺は、JR花巻駅からおよそ2キロ。大きな通
りを曲がって坂道を少し登った中腹にある。妙法蓮華経に深く感銘を受
け、その教えに基づきながら創作活動に励み、当時の貧しい農民の為に
尽力をつくした宮沢賢治。そこには没後およそ70年経った今でも、溢
れ返るほどの花が手向けられていた。地元の人達なのであろうか、それ
とも宮沢賢治の世界と触れる為にやって来た旅人達なのであろうか。ど
ちらにしても、今尚、人々に彼が愛され続けているのが一目でわかる。
 
 陽が暮れかかる頃、身照寺にほど近いぎんどろ公園に立ち寄ってみた。
この公園は、風の又三郎の像がある。まるで子供達と彼が一緒に遊んで
いるような躍動感だ。
時折、風の又三郎が挨拶に現れるのだろうか。幾度となく突風が吹き抜
けていった。

 帰りに乗ったタクシー運転手さんの薦めで「未来都市銀河地球鉄道」
を見た。これは、夜間だけ見える幻想的な壁画である。紫外線を照射し
た時だけ光るルミライトカラーという特殊な塗料で描かれている為、日
中は白い輪郭しか見えない。照射時間は、日没から午後10時まで。闇
に浮かび上がる銀河鉄道は、毎夜花巻に数時間停車しているらしい。

 花巻市内には、宮沢賢治記念館と桜地人館という彼ゆかりの会館が2
つある。
翌日は宮沢賢治記念館から足を運んでみた。館内は環境、信仰、科学、
芸術、農村、総合、資料の7つの部門に分かれて展示されている。ここ
では、数多くの原稿や、盛岡高農時代に採集した石の標本、歌壇設計図
や水彩画などが集められており、賢治の類稀なる才能を感じることがで
きる。
 昼頃、この建物の隣にある「山猫軒」レストランへ行った。「山猫軒」
というのは、童話『注文の多い料理店』に出てくる店の名だ。童話の世
界そのままを形にしたような外観が楽しい。昼食を終えて、すぐ側にあ
る宮沢賢治童話村へ向かった。子供たちそして童心を持った大人たちが
賢治の世界を疑似体験できる場所だ。床がスクリーンになっている天空
の部屋では、イーハトーブの大地が足元で広がっている。風の音と共に
自分が空を飛ぶ鳥や雲にでもなった不思議な感覚に包まれた。

 午後から桜地人館へ向かった。ここは賢治と親交が深かった医師、佐
藤隆房が開館したもので、小さいながらも貴重な資料が保存されている
会館である。賢治本人や宮沢家から渡された賢治ゆかりの品や作品の他、
同じく交流があった高村光太郎の書や萬鉄五郎の代表的な絵画、舟越保
武の作品が展示されている。この建物の前には、高村光太郎が刻んだ「
雨ニモマケズ」の詩碑が建立されている。詩碑がある場所は、かつて賢
治が農民芸術を実践させた「羅須地人協会」があった場所だ。
 羅須地人協会というのは、賢治が独居自炊生活をしながら、農業の多
角化、農業科学などを教えると共にレコードコンサートを開いたり、有
志でオーケストラをつくり、練習をした場所である。時折こども達向け
に童話のお話会を開いたり、農業技術や肥料の相談所にのったりしなが
ら過ごした、賢治ワールドの集大成のような所だ。今は、数キロ離れた
花巻農業高校に、そのままの姿で保存されている。
 
「羅須地人協会」の建物を訪ねると、高校の隅にひっそりと佇んでいた。
この建物は、高校の校舎に入り記帳した後、鍵を受け取ると、自分で自
由に内部を見学することができる。
 
 この日は幸いにして、他に誰も来ていなかった。
木の床に火鉢を取り囲むようにして置かれた、丸イスと黒板。
賢治が愛用していた、マントやオルガン。
建物に掛かっている「下ノ畑ニ居リマス 賢治」の看板文字は、畑を開
墾した当時のままだという。本当に、ついさっきまで賢治が建物の中に
居たのではないかと錯覚させられてしまう。

 夕方、イギリス海岸まで足を伸ばした。
「イギリスあたりの白亜の海岸を歩いてゐるような気がする」
と、賢治が命名したこの場所とは、北上川と猿ケ石川が合流するあたり
にある。
 白亜とはおよそ1億年前の白亜紀のことだ。
海外には一度も出たことのない賢治ではあったが、地質や鉱石を研究し
ていた彼らしい、表現だ。次元と空間を自由に飛びまわる賢治の姿が伺
える。
 1年のうち、ほんの短い期間水位が異常に下がり、水底の石が浮かび上
がるそうだ。
 今回は、残念ながら水嵩が増え、ただ重く流れているだけだったのだ
が、その下に眠る地層に思いを寄せながら、川の流れを暫く眺めていた。


 旅の最終日、賢治が愛して止まなかった岩手山の麓、小岩井農場へ向
かった。
賢治は、この農場から岩手山を臨む風景が大好きだったらしい。
牧歌的風景の先に、雄大なパノラマを描く岩手山。
彼は幾度となく、この山を登り、眺めた中で、自然から多くのものを学
び取っていたのだろう。
広い牧場の中を暫く歩くと、小さな天文台があった。
天体望遠鏡から覗かせてもらう。
昼間なのに星が見えた。


 彼は、森羅万象目に見えるものから宇宙空間や魂の中まで、あらゆる
世界を物語に変えていった。
賢治が愛して止まなかったイーハトーブ。
この街を歩くと、確かに賢治はそこにいた。

 そして、今も、誰をも彼は愛してくれるようだ。

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【6】◆◇編集後記◆◇
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ここのところ、やや忙しい日々を送っていた。でも、大好きな仕事がで
きていたので心は思いっきり喜んでいる。私はやっぱり幸せ者なのだと
思う。

                                        aya
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発行者   天川 彩

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